変な時間に寝てしまって、さっき起きた。もう一度寝るけど、もう朝になりかけだ。トイレで司馬遼太郎の「飛ぶが如く」を読んでたら、1941年に95歳の婆さんが出てきて、西南戦争(1877)の戦場を実際に見た人で、薩軍と官軍の戦闘が終わって、田植えに言ったら死体がごろごろしていたという。生涯で、日本の歴史全部、もう人生のほとんど全部で戦争…とつい想像してしまうが、意外とそうでもないのだろう。1846年に生まれて、その後いくつまで生きられたのかわからないが、ほとんどが九州の田舎の風景で、その後の、太平洋戦争末期の酷い情況まで経験されたのかどうかわからないが、意外とのどかな人生だったのか、そうでもないのか、まあ、そういう風に人の過ごした時間を想像しても、ちょっと違うのだろうが。結局歴史の上で起きた出来事と、その時間を生きたこととは、関係があるようでほとんど無関係というか、じつは人間一人のなかで、その時間を生きたことの、その記憶の中にしか、歴史上の出来事というものは生成しないということなのだろうから。その意味では、戦争もその婆さんも、そういう風にはいないといえばいない。現実にはいたにはいた。