三月末だと、色々と変化の時季で、うちの妻も今ちょうどそんな時期で、毎日大変そうで、それ以外でも自分の職場の周囲なんかでも、がやがやとしてるし、夜は夜で、別れと出会いの、様々な飲み会がいっぱいあって、如何にも期末なムードであるが、僕は今日は、また一人で食事だったけど、最近じつに、ひとりで外食するのがやみつきになるほど好きになってしまって、これから30分後に一人で行くと電話して向かって、到着して席について、本日の傾向と対策を決めて待って、そのとき乃至その後の、この手持ち無沙汰感、このアウェー感、この気を使われないと辛いし気を使われると鬱陶しいという、絶妙な距離感の難しさ、あたりが、むしろ今は一々面白い。というか、ある意味言いすぎで、まあ、ほぼ、ちょいちょい適度に話もしながら良い感じで弛緩して、ははははとか笑いながら、まずまず快適に過ごしていて、むしろ一瞬、急に放置されるくらいの感じのときに、ある種の独特の旨味が、こういう場においてはあるとも言える。おー、今俺は何を、、という風の吹く感じ。これがむしろいいのだ。周囲を見渡して、手元を見て、おー、おれは今、何か過去へと遡行しているかのような。…そして周囲のこいつら全員過去の人々だろ、墓の下だろ、みたいな、意味不明な妄想が働きつつ、ぼやっと、グラスを持つ手の位置を変えてみたり、おしぼりで手を拭いてみたり・・・ 妻が忙しいと、こうして夫は一人で飯を食うことになるのだが、是非妻にも合流してほしいと思っているのだが、それはなぜか思ったよりも俄然難しいらしく、だから今日もこうして一人なのである。僕を入れたら二人である。くどいようだが、友達が少ない。それでも、やがてメインが出てくる。出てくれば、夢中になるだけだ。食べ終われば、食後酒の遊びがまた長くなる。三月末で、早い桜はもう咲いているのだという。例えば店の前の桜はもう葉桜に近いのだという。そんなばかなことがあるかと思うが、早咲きの桜で先週がピークだったのだそうで、店を出て皆で終わりかけの夜の木を見た。そうしたら、たまたま通りかかったタクシーが停車してドアが開いた。違う違うと言ったら、ああ、違いますかと言って走り去った。あれに乗ったとしたらどこへ行くのか、もう腹一杯過ぎて、残念ながら何の想像力的余地も見出せない。