DVDを観る。一本目。妻が観たいと言うのでウッディ・アレン「ラジオデイズ」。たしか十何年か前にも観た。冒頭で、ニューヨークの街並みのすぐ向こうに海が広がっている景色が出てくるのだが、雨の降るどんよりとした、すべてが一様な単色の世界で、白と灰色の海の波がただ、ざぶさぶと打ち寄せている。ウッディ・アレンの、この海の感じは「インテリア」という映画でもまったく同じようだったと思う。というか、同じ場所かもしれない。「インテリア」も、たぶんかなり昔に観たけど、どんな感じだったか、もうほとんどおぼえてない。「ラジオデイズ」は、はじめて観たときはもっと笑ったりしみじみしたり楽しかった記憶があるのだが。こちらも内容は、ほぼ忘れてる筈なのだけど、笑いどころやしみじみポイントだけ、ぼやっと記憶が残っているせいかも。


しかし初見時も今回も思うのは、アメリカって凄いな。こんな国と戦争して勝てるわけないよな、ということ。物語の時代背景は1941頃から44年か5年の大晦日までで、主人公の家族はユダヤ人で裕福ではないが庶民としての日々を送り、マンハッタンでは夜な夜なお祭りが繰り広げられている。もちろん戦意高揚のポスターやイベントなど、戦時下の雰囲気は濃厚にあるが、それでも同じ時期の日本とは比較にならない。…とはいえ、では同じ時期の日本で「僕にとっては自分が少年だった昭和18年と19年があまりにも懐かしいのです」という思い出がありえなかったのか?と言うと、決してそんなことはない。我々のように過去を1945年とか、そういう単位でしか認識できないと、そういうことの現実感を想像しにくいとは言える。


二本目。ヴィクター・フレミング風と共に去りぬ」。1939年。四時間弱。この歳になって、ついにはじめて観た。超・豪華。これはたしかに凄い。こんな豪華な映画、観たことない、という感じだ。衣装、パーティー、踊り、馬車で疾走、戦争、爆発、群集、もの凄いエキストラの数、かと思えば、セット撮影や合成や特殊撮影のシーンも大変多くて、それら全部がたたみかけるようにつぎはぎされて結合されて、ぐいぐいと物語がすすむ。物語の内容もまさに、二十世紀を生きた人間のもっとも多くが共感できそうな、古い世界の崩壊、すべての価値リセット、ゼロからの再出発、みたいな。そしておそらく日本人にとっても、太平洋戦争敗戦とそれ以後、というあの記憶を、ちょっと出来すぎでは?というくらいに、おそらく当時のあらゆる人々に鮮明に思い起こさせたであろうというような話だ。しかし…そうか。これが、スカーレット・オハラの物語なのか。いがらしゆみこの描いたヒロインが途中から西原理恵子の性格になってしまったような。。