3年前まで吸ってました。


禁煙したのは、2003年の4月1日。だった気がする。


なぜやめたのか、理由は特にない。当時から「理由は特にないんだけどな。」と思いながら、吸わないまま2〜3日過ぎた。その後、一ヶ月ほど辛い日々が続いた。何故なんとか吸わずに正常な生活が営めているのか、自分で不思議だった。禁煙継続の理由が「数日頑張ったから、今吸うと、これまでの努力が勿体無い。」という理由の無期限先延ばしだけで、延々引き続き、現在に至るという。


まあ、仕事以外なんら生産的な行為もしないし、前向きな思考もしない。生活上、特に目立つトラブルもなく、たまたま幸運なことに、ただ漫然と生活だけしてれば良い状況だったことは、タバコ常習から決別できた理由の一つ。と、考えられなくもない。ちなみにその当時、僕は美術制作をやってない。今後、再び美術に関わるかもはっきりしない感じだった。そのこと自体、シリアスな問題とも思っていなかった。要するに平和で幸せであった。


妻が寝た後、ひとりでパソコンの前にいるときなんかが、もっとも喫煙の誘惑に駆られる瞬間であった。っていうか、その時に吸わないというのは、端的に、人生の大きな大きな喜びのひとつをわざわざ放棄している事に他ならない。というのがひしひしと感じられた。だから、やはり全体的に生活上、精神的な余裕があって、いろんな意味で「張り合いのない」生活をひとときだけでも送っていないと、タバコやめるのは大変だと思う。人生の大きな喜びなんてうぜー。感動とかいらねー。とか思うくらいの「余裕」がないと、やめないよねーなかなか。だってタバコって自分を癒すと同時に覚醒させるメンタルケアでしょ?違いますでしょうか。僕の感覚では、それに近かったと思う。変な例えだけど、仮に独身で、自分の事が考えの9割以上占めてる状態だったら、タバコやめられないと思う。メンタルケア必須だろうから。だから今一応、結婚してるというのは、自分にばっかり考えがいって自家中毒起こさない故に、タバコとかに依存しなくてもなんとか済むっていう実利的効能が、少なくとも自分にはある。


(妻がいるとうるさいから禁煙できる。という意味ではないんです。この辺微妙なニュアンス。文章力無いから伝わらないか…)


(っていうか、さらに慌てて付け足しますが、「妻が良き理解者・パートナーとなってくれるから一人で煮詰まったりしない」的な意味とも、…ちょっと違います。この箇所に限ってはですよ!本趣旨に関してだけは、そういう意味ではないと(笑)…そういうときは、人間不可避的に孤独なんだと!…ああこの辺難しい。)


あれから3年半・・・。歩きタバコのヤツに密かに中指立てるくらいには煙嫌いになった訳だが、(喫煙時代は歩きタバコ最高!歩くと同時に絶対吸う。というタイプでした) まあでも、今でも「大きな楽しみをなくした」という自覚だけはあったりする。なんだかんだ言ってもタバコは美味いものだったと思いますよ!はじめて吸ったのが19歳のときなんですが、あのときの夏の事とか、タバコ吸ってくらくらしながら居た瞬間のこととか、超リアルに思い出せる。いいもんですよね。この快楽は、たしかに本物なのです。こういう快楽を自ら絶つってのは、まあある意味、人間的ではない行為ですよね。その自覚はありますね。大昔「すいません!タバコやめてくれます?!」と俺に超然と言い放ったあのおばさんに、俺は屈したんですね。。


この3年間で、一回だけ、激しく泥酔した深夜の飲み屋で、友人の胸ポケットから一本もらったことがあった。1年くらい前。最初一息吸って「あー懐かしいこの感じ」と思った。でも喉に、ものすごいヤニのにおいが溜まった感じがして非常に気持ち悪く、とても二吸目を吸おうと思えず、そのまま灰皿で消した。あれが最後だ。


タバコは、今の時代、吸わない方が比較を絶して「快適」な生活を送れる。これは確か。まあ普段の日常で、ほとんど他人と同じスペースを共有する機会が無い。なんて人は、喫煙生活にさほど支障ないだろうけど。自分もそんなライフスタイルだったらほぼ確実にやめないと思うけど。まあでもサラリーマンなんかやってるとまず吸わない方が気楽だと思う。


しかし、あの神経中枢に直接届くような感覚は…。確かに捨てがたい。自分もこれを手放す事は人格の崩壊を意味するとさえ感じてた時期があるくらい。しかし…人は如何様にでも適用して、生きていくものなんですね…。