ドキュメンタリー nonfix 森達也 「放送禁止歌」


役者というのは、自分がどう観られ、自分の身振り振舞いが、他人にどのような印象を与えるか?に対して、常に意識的たらざるを得ないだろう。で、そういう経験を積んだ場合、たとえば相当緊張感のある現場でも、自分のペースを見失わなかったり、そこにいる相手の心をつかむプレゼンができたり、通常であればかなりびびるような場にも入っていけたり出来るようになるか?っつったら、絶対そうだとは言えないだろうけど、でも、人によっては「あ・もしかするとオレそういう状況で、もしかするとかなりいけてるかも」なんて気付いたりする人もいるだろう。


で、森達也って人もそういう人なんじゃないか?あの人って「ここにカメラがあるから、僕は貴方と向かい合えていて、貴方も僕に、話して下さる。・・・でももしかしたら、これも一種の暴力かもしれませんね・・・」的な雰囲気を出しながら、実際、相当ヤバメなところにまでカメラ持って侵入する人。というイメージがあるが、じゃあカメラが無いと駄目か?カメラが無いと、全然駄目なふにゃふにゃ人間になっちゃうのか?。って言ったら、そんな事も無いのではと思われる。なんか根拠は無いが、っていうか理由を上手く言葉にできないが、結構、手ぶらの素っ裸でも、カメラ構えてるのと同じで、堂々としてそうな感じに見える。っていうか、あるいは、カメラ構えてないなりの、適切な振舞いができそうな感じ。。多分、自分の外見や物腰が人に与える雰囲気とか熟知してるんだと思う。ある意味、自分を完全にコントロールできる役者っつーか、要するに舞台とかではなく、カメラも含めた現実世界で、目の前の素の相手と即興芝居してる人ではないか??


などと、youtubeこれを見ながら思いました。


あと、フォークと呼ばれる音楽って、自分は今まで、そんなに嫌だと思ったことが無く、古くはウッドストックでのカントリージョーマクドナルドの「ベトナムへ行こう」とかグルーヴィですごい好きだったし、さだまさしだって悪くないし、岡林信康のこないだCDで出たライブ盤に入ってた「ホビット」なんてすごく良かったと思うし、「私たちの望むものは」なんていう曲のコケおどしっぽい感じとかもすごい好きだし・・・なんて思ってたんだが、今回1時間もおんなじような調子の「メッセージ」形式を聴いてたら、放送禁止か否かとか、規制してるのは誰?とかは、また別の機会に考えるとしても、さすがにうんざりして来て、はじめて「フォーク」と呼ばれるモノがちょと嫌になりました