アンリ・マティス賛唱



アンリ・マティスと言う画家がいる。作品にも拠るのであるが、この画家の絵には非常にいらいらさせられる。


たとえばコリウールのフランス窓なんていう絵は、これはなかなかのものである。っていうか、素晴らし絵だと認めるに吝かでない。私の趣味で言えば、赤い部屋の絵とか、ピアノのある室内の絵なんかも、これもものすごい絵で、ああいうのはまあ確かにたいしたものだとは思う。


しかし、それ以外の大半の絵に関しては、一体あれらは、何なのか??あれらは正気の沙汰なのであろうか??


まじかよ!?言いたくなる大雑把さといい加減さ。筆の穂先に絵の具を付け、キャンバスにその筆を走らせ始めて、アタマでイメージしている筈の、筆運びの終点に、その穂先が行き着くまでに、この作家は筆を操作することに飽きていて、何か別の事を考えているのではないか?と、観る者をして訝しく思わせるような、全ての作品に、そんな線と色彩が横溢している。


なにしろジャズリ方が尋常じゃないっていうか大雑把でありいい加減である。実は絵など、描きたくないのではないか?と思わせる。これは描いてる途中で、嫌になってしまったのか?と思わせる。誰か、特定の人物への悪意として、いい加減に描いているのか?とも思わせる。いずれにせよこの作家の行為は、画面内であるひとつの調和のある世界を作るという、世界中の画家達のたゆまぬ努力に対する、明白なテロリズムである。


たとえば、絵を描いている者にとって「黒」という色ほど、使用がためらわれる色は無いだろう。他の色と調和させることが根本的に不可能なこの色は、使用するのであれば、画面上での効果を、かなり綿密に計算した上で使用されるべきである。


ところが!このマティスという人物は黒い絵の具を、人物が纏う洋服にあしらわれた柄模様をあらわす表現として、ナマのまま筆の穂先に取り、目を疑うほど中途半端な、芋虫のような線ののたくりとして、何本も画面内に描き入れるのだ!


これは明らかにファウルである。やってはいけないことである。虫唾が走るのは私だけではあるまい。おおアンリ。こんな光景、決して見たくはなかったよ!!


これだけではない。この作家の、無神経さと、その事に対する臆面の無さは、ほとんど比類なきレベルに達していると言える。・・・無論悪口を続けていてもきりが無い。いい加減私は、本稿の執筆を早めに切り上げたいと感じてる。だが、これだけは言いたい。とりわけおぞましいのは、人物の「顔」の描写である。


描くならしっかり、描けば良いのだし、描きたくないのなら、もっとそつなく、慎ましく描かずにやりすごせば良い話ではないか?なぜあのような、ふざけたヘノヘノモヘジのような線で、何か顔のようななんかのモノを描くのか?!!ばかか?!怒りで体の震えを抑える事が難しい。人を、バカにしてるのだろうか?


ほかにも、人物の背中の線が、あからさまに直線だったり(人物画のアウトラインの一部が直線であるとう事態に、誰が耐えられると言うのか!?)足首から先が塗り残されていたり(こんな人の気持ちを宙吊りにするような仕打ちがどこの世界にあるのか!?)、画面の一部に、かなりのボリュームで絵の具の盛り上がった点描表現があったり(小学生が、パレット上に余った絵の具をすべて使いきるのに用いるテクニックである!!誰も頼んでない!描きたくないなら無理に描くな!)とにかく鑑賞者への、ひいては美術に対しての侮辱に満ちている。


とにかく「稚拙」が横溢しており、その無神経さが感覚を逆撫でする事に耐え難い思いを禁じえない。誠に、遺憾である。然るべき本来の、正しい評価が為され、淘汰されるべき作家の筆頭であるといえよう。