James Blood Ulmer「Free Lancing 」



ジェームスブラッドウルマーのギターの音というのは、ペコペコな、へなへなにも程があろう。と言わんばかりの音に聴こえる事がある。あらかじめ言っておくが、僕はハーモロディック奏法の理論とか、まったくわかりません。そういうのに無知な人間が聴いて、書いてる事であることをご承知置き願います。というか繰り返すが、それ以前に、ギターのトーンセッティングが、もう絶望的にしょぼい。あれはわざとああいうセッティングなんだろうが、なおかつ録音も小細工してないからだろうが、まあ結果的には、しょぼい。イメージと違うから余計にそう思う。「ジェームスブラッドウルマー」という名前のイメージだけだと、もっと「怒りのヘビーギタリスト」だと思いませんか?(なんかヴァーノン・リードみたいな!第一Black Rockなんてアルバムもある癖に!)でも全然そうじゃない。フルアコースティックギター特有の、ある種の粘りと温もりのある音で、結構アグレッシブな曲でも普通にスモールコンボでのジャズギターの音を思わせる(まあ少しは歪んでるが)音色だったりする。


関係ないが、僕はジェフ・ベックというギタリストはいつもギターの音を完璧にセッティングしてると思う。極端な話、単音を弾いただけでも「味わい」を感じるような、素晴らしい音にトーン調整されている。(絵で言えば、一筆だけで充分に味わい深いようなおいしい素材で描かれてるというか…)あれとウルマーの音を較べると、ウルマーの音は尋常ではなく寒々しい。


エレキギターは、アンプとトーン調整次第ではどんなに強いアタックでピッキングしても、「カリッ」という固い引っ掻いたような音しかマイクが拾わないような感じに出来る。ハードロックやメタル系音楽などが好きな若い子達なんかだと、多かれ少なかれ轟音に包まれて守られている事が好きなので、こういうトーン調整には、まず生理的な嫌悪感を感じるのではないか?彼らが必要としてるのは「音」ではない。だって音は危険だから。音からはニュアンスや表情が生まれてしまうから。それは敵に付け入る隙を与える事になるだろう。隙を感じさせない「音の壁」を作るため、マーシャルアンプは積み上げられ、ディストーションサウンドは厚みを増し、ノイズは混沌の度合いを深めるだろう。…でも、そのような演奏は大抵退屈なのだ。(…と勢い余って書いたものの、実はそういう演奏もたまには良い!…っていうか実はそういう演奏でものすごく最高なのもある!!っていうかそういうのが大好きですが!自分の書いた言葉に絡まって困った!)


ウルマーの演奏は、「マーシャル3段積み」の対極にあると言えよう。異様にせわしなかったり、確認のように繰り返したり、なんか途中でやめたり、そういうすごい複雑な多様さが横溢していて、ある決まった「型」が感じられない。がーっ!!と攻撃的な演奏でも、単なる音圧で人を圧倒しようという部分が非常に少なく「今、この音のあらわれ」という物に、細心の注意が向けられている。で、あのギターのトーンは、たぶんこういう演奏の柔らかな複雑さと多様さを現すのに、一番程よく最適化されたセッティングなのだと感じられる。


で、そんなウルマーの音楽で一番、僕が好きな一曲は「Presure Control」(アルバムFree Lancing 収録 1981年) これです!!…すいません。…っていうか、この曲ってウルマーの歌入り+女性コーラス入りの超べたべた(しょぼ系)ファンクチューンですよね!?え?今までの話の具体例として最適な曲を上げるんじゃないの?と言われたら…はあ違います。と答える。


じゃあ、今の、上記に書いた話なんか特に無くても全く問題ないって言うか、上記のウルマーの特徴と、この曲って全然関係なくねー?…少なくともこの流れでこの曲をおすすめするのはおかしくないですか?という局面に突入してる訳なのですが、そんな些細な整合に拘る事が一体どれほど意味があるの?ってくらいこの曲はマジ最高で空いた口がみつかりません。イントロが始まるや否や、アドレナリンが溢れ、血液が逆流してしまうのを抑える事が難しいです。結構録音レベルが小さいんで異様にボリュームをでかくしてしまい、数日後に別の何かを再生時においてお客様によっては鼓膜を痛める事がありますがあらかじめそれをご承知置き願いたいとしか言いようが無く、どうにも返す言葉がふさがらないすごい演奏と言える。


再生が始まって数秒もすれば、ドラムもベースもギターそれぞれがあさって向いてるとしか思えない奔放さと、異様な結集力の繰り返しに打ちのめされるしか無いのだが、そこに朝から酒臭い路地裏のおじさんが突如鼻歌を歌いだしたと思ったらそれがウルマーのボーカルで、気を失う間も無く矢継ぎ早に、全身の力がみるみる抜けていくような、困難にめげずまともに生きる努力を試みる者の生気を根こそぎ吸い取ろうという意図しか感じられないような、もはや如何ともしがたいへなちょこ女性ボーカルが重なってくるとき、人は、ファンクを大量分泌するだけの、一本の樹木でしかないのであった。貴方にもし、その気があるなら、ここでのウルマーのギターソロを百回繰り返して聴いて下さい。はい。もうこの辺にしときます。