小説:「エゴン・シーレと私」妄想

(この作品に相応しいBGM「One In A MillionAaliyah)



絵のモデルを頼まれた私は、今、裸に近い格好をさせられている。


恋人でもない他人と一緒に、普通に部屋に居る私が、こんな姿で。というのが少し滑稽な感じに思えて面白いのだけれど、同時に、軽い恐怖と緊張が何度も呼び起こされては消える。ずっと頼りない不安を胸に抱えたまま、相手の言葉を聞き、相手が望むポーズを理解して、その言葉の通りとなるように、自分の体を静かに動かして、自らの姿勢を調整する作業に没頭していると、こころが麻痺して来て、だんだん慣れることができて、もっとリラックスできるようにも思う。


画家は私を見つめていて、ある瞬間に私は、そのまま動くなと言われた。そして画家は右手に見えた巨大な姿見用の鏡を、私の後ろ側まで引っ張ってきて移動させる。


そのあと画家は、その場からやや離れた位置の椅子に腰掛け、ポーズする私と移動させた鏡のどちらもが程よく視野に入る場所を探すために、軽く腰を浮かせて座る位置を微調整してるようだ。


しばらくすると、筆記具が紙面を走る掠れた音が聞こえはじめる。正面を向いたまま、私は、その音で、画家が仕事をはじめた事を悟る。


仕事は快調に続いているようだけれど、スケッチブックのなかは見えない。また、移動されて置かれた鏡に一体、自分がどのように映り、画家からはどのように見えているのかもわからない。鏡に映っている私の姿を、今、私は想像もできない。


私はさっきからずっと、白い天井と白い壁が合わさっている境目を見つめているだけだ。画家は私を見ているだろうか?それとも鏡を見ているのだろうか?もしかすると下を向き、スケッチブックを見ているだろうか?


そのとき、私は、自分の「体」について知る事ができない。私は、たぶん責任を取ることが出来ないのだと、思った。今、画家が私を見ていたとしても、見ているのは、私が私の名において心で制御できるものとは、まったく別の何かだという確信が、静かに深まる。


そしたら、それと同時に、得体の知れない、不思議な喜びが湧き上がって来て、頭や、首や、肩・胸・腰・手や足、爪先、指先などの「体」が、「私」と、それぞれ何の関係もなく、ふてぶてしく存在している事の、確かな実感がゆっくりと、溢れて来るのがわかる。


私はポーズを続けながら、あのスケッチブックに「私」が感じている今の感じに近い「何か」が描かれていて欲しい、とも思うし、あるいは、この喜びのような感じを何度でも召還してくれるような、そういう「何か」が描かれていて欲しい、とも思う。


(本文はフィクションであり、図版画像とは関係がありません。あたりまえ)