不安


生きている以上、何らかの不安を抱えている状態が当たり前です。しかし、それって実に辛い事である。


不安は、不安の元が現前した状態そのものよりも、苦痛の質としては辛いのかもしれない。たとえば死刑囚を最も苦しませ責め苛ませるのは、運命を認識した状態で、執行されるまでの時間に耐えることかもしれないし…。何か決定的な事が起こるかもしれない。という不安。自分が壊れてしまうかもしれない。という不安。不安は、日常的にも、色々ある。


たとえば、仕事の不安がある。別に殊更すごいトラブルや困難にぶち当たっている訳ではないけど、常にぼやっと不安であり、それが何かのきっかけで、たまに大きな不安となり、また通常の大きさになり、そんな状態がこの先も、何年も続くのだろうか?と思うと更に不安になるという…書いているだけで嫌なものだが、働くというのが一面では、こういう状態に耐える事に他ならないのであり、その代価として金銭が支払われる。という事であれば、もう仕方がないのかも知れない。


また、制作上での不安もある。上手くいってない事の不安。自分が上手く動けず、自分が画面の前で、すごくどん臭い描き手として振舞ってしまって、この先も、こんな事をし続けるのだろうか?と思うときの不安。作品が、ものすごくつまらないモノである可能性に対する不安。自分の力を信じなければいけないのだけれど、安く見積もってしまって満足レベルを落としてしまうかもしれない事に対する不安。小さな満足に安住しそうな不安。他者に無視される不安。他者に批判される不安。…それは本質的で根本的な、自分の力に対する疑いであり、自分という者への不安だ。


これらが錯綜すると、更に、とてつもなく嫌なコンディションが生まれ、もう自分の中が混沌としてきて、冷静な判断力を失くしてしまい、思わず「やれやれ!!堪らんなー」と、ひとり電車の中で明瞭かつ間抜けな声で発言してしまい、周囲の乗客をぎょっとさせ、怯えさせるのであった。うそ。


ちなみに、たまに不安が無いときがある。酔ってるときとかが多い。酔ってないときでもたまにある。なんとなく大きな気分になって、まあなんとかなるだろ。と楽観的な思いが体を満たし、別に今の気分で、明日以降もそのままの気持ちでもいいじゃん。と更に自信を深め、ああ不安が無いって、こんなに素晴らしいことなんだね。と言いたくなる。病気の人の病気が治癒して、健康であるというのはなんて素晴らしい事だ。と思うことに似ている。