週刊・軍国現代


「元々軍事用に開発された技術で…」なんていうと、訳も無く、すごい高品質かつ高性能な技術って感じが漂う。ああ「インターネット」も元々はそうか。



「軍事用」っていうところがミソで、軍事に用いられる場合、もう妥協を許さぬものすごい技術であると相場が決まっている。では軍事用に描かれた「絵画」っつたら?というと戦争画な訳ですから、(え!?それは苦しい。別に絵画で軍事活動する訳じゃないし!まあいいや)やっぱり近代をはじめた20世紀の日本が生み出し得た美術の、まがりなりにも最高峰と言って良い位置づけの作品が、宮本三郎の「山下・パーシバル両司令官会見図」である!という説も、あながちトンデモとは言えないのかもしれぬが、まあそれは今のところどうでも良い。



竹橋の企画展に掛かっている、藤田の「血戦ガダルカナル」を観てたら、もう松本零士の戦場漫画シリーズにしか見えなかった。これは、比喩とかではなくて、まじで松本零士が描くキャラクターに、似てると思う。例えば「登場人物」たちの、顔の描写を見るが良い。輪郭に対して、鼻や半開きの口や、剥き出した眼の描写が末端誇大症のように、でかく単純なデフォルメを施されて描写されている。それこそ漫画的記号的表現で、すごく判りやすい「登場人物の心象」を伝えてくれる描写であるが、ある種のユーモア。っつーか、阿呆らしさも漂う。まあ藤田は戦後も、基本的にはこのメソッドを一貫して利用しており、残された絵の質というのが、かなりものすごい訳だが、まあそれを今、戦後61年たってから、blogとかっつって軽口で嘲ってる僕の、軽薄さ加減もひどいものだと、多少は自覚するものの、あのマンガのような形相で、一方の敵兵の顔を足蹴にしながら、もう一方の兵士の胸を銃剣で刺している日本兵。というのは、もはやマトモに観ても仕方がないモノ。という感じが濃厚であり、常設フロアに必ず展示されてる原田直次郎の世にも醜悪な、竜に乗ってる観音様の絵と、なんとなく同じ位置にある絵。というか、まあ必死の思いでよくやった!感動した!と言いたくなる様な絵で、しかし原田直次郎からかなりの年月が経ってるだけ、藤田の戦争画の方が、事は深刻なのだが、まあこれを、ありがたがる向きもしっかりと存在するって事で、まあ、それはそれでいいじゃん。とも思うのだった。戦時下、公開されたアッツ島の絵の前には「賽銭箱」があったというし…それもまた、絵画の役目であろう。


あ!秋篠宮紀子さま、男子ご出産、まことにおめでとうございます。