Too High


昨日と今日は制作の感じが割と快調な感じであった。いつものプロセスを、10倍速くらいのスピードで無駄なくやれている感じ。あっという間に結構なところまで来る。こういう激しい高揚感から生み出される、このイメージと、イメージが内包するある種の感覚が、僕個人の内部を超えて自分の周囲とか外部に広がっていくような事があったら、それはもう奇跡のような素晴らしい体験だろう。それは夢ですね。まあ、当人はその気になっていい気分でやってるのだが。。でも多分、そう感じられているのは、この世で僕だけ、只一人だ。世の中そんなに甘くないだろう。うん。でもそれはそれで、良いのだ。とりあえず、悪くない。


…こういう感覚は、確か受験直前のときにも感じた。もう20年近く前ということだが、まあ美大に受かるための絵の特訓なんて、受験勉強な訳だから、本番に日に出来る限り最小限に切り詰めたプロセスを有限時間内に放出できる事が目的で、そのための特訓なのだけれど、やっぱそういう特訓というのは人間荒むので、もう直前は本当にイヤになってしまって、もうどうしようもない感じになっていた。若いときの僕は本当に融通の効かない人間だったので、10代の頃なんかは学校をさぼるとかそういう経験が皆無に近かったんだけれど、さすがに受験直前は、もううんざりして、学校も美術予備校も結構さぼった。んで、中央線沿線の駅をひとつずつ降りて散歩したり、歌舞伎町とか渋谷とかをうろうろしたりしてた。


で、受験シーズンになって4校受けてムサタマ連続で落ちて、なんか、ネジが飛んだというか、ぶち壊れたというか、アタマが狂って来て、そしたら、すごい自分でプロセスをがーっと画面に叩きつけていって、相当暴力的な腕力で、画面をある程度作れるようになったのだった。んで、もうその状態が良いのか悪いのかの判断の余裕すらなく、その勢いでガー!っと本番の日に描いて、で、嘘みたいだけどその自分の絵をみて、周囲を見渡して、ああこれは受かった、と確信したのだった。その日予備校帰って、再現制作したのだけど、まだ変なスイッチが入りっぱなしだったので、そのまま1時間くらいで、受験会場のものとほぼ同じ絵を、ほぼ同じプロセスでもう一枚描いてしまったのであった。。(こういうのは本当に「美術」という行為ではない。画材を使った、世にも奇怪な行為であろう。)合格発表の日も、合格してたけど全く驚かなかった記憶がある。逆に受かってないのだとしたら、その方が不可解、くらいに思っていた。


…まあ若気のいたりの妄想だし、結局、それ以降死ぬほど辛い思いをしたりポカンと空虚に潰されたりという、結局、自分を程よく見失いつつの、極めて凡庸な結果になるんで、とどのつまりそういう調子付いた感じというのは決して良いものではないのだが、でも、今日の制作の何か異様にハイな感じは、その昔の一瞬の激しい高揚感が、随分久しぶりに胸中に蘇って来るようであった。