子供の恋愛


大体、年齢的に10代も半ばに差し掛かるまでには、恋愛感情なんていっても相当打算的なものになっていて、自分の幸せ願う事はワガママじゃないだろうけど、まあ基本的には相手云々よりまず自分の幸せしか願わないのがおおよその現実であろう。ちょっと言いすぎですけど。自分の身の丈を知り、周囲とかそういう環境を知る事で、まあ無意識にそういう制度内での自由を知っていくのだろう。


10歳以下の子供とか幼児でも、他者を好きになる事はある。そういう時期のそういう気持ちは、天真爛漫で純粋で、前述したような打算などまったくない、とは思わないが、まあ、いろんな免疫を持たない初めての感情にかなり露な生身を晒している状態とは言えるだろう。何しろ、「好きだ」→セックスしたいとか恋人の関係になりたいとか結婚したいとか、そういう、ここより他の場所へ行きたい的志向とか余計な付随物が無くて、単に対象を「好きだ」の場合がほとんどだから、それだけでも随分シンプルな恋愛感情であるとは言える。


で、そういう剥き身の恋愛感情というか、他者を想うというとき、その人の容姿とか、雰囲気とか、しゃべり方とか、表情とか、座るときの手の位置とか、洋服の裾が風になびく感じとか、…そういう曰くいいがたい、ある種のフレイヴァーに強く恋焦がれるのだろう。そういう、イメージに純粋にひかれる感覚を、大人になった今も変わらず持ち続ける事は難しい。


で、かつ、そういう呼吸とかリズムとか、感覚自体に、単純にひかれればひかれるほど、その当人は、その対象とまるで違う存在なのだという事を強く感じたりもする。あの人と僕は、まったく別の仕組みと、別の感覚をもった、まったく違う組成の、別個の人間なのだ、というような断絶感を、強く感じる。だから、好きであればあるほど、離れなければいけない、というか離れざるを得ない。というのは、あると思う。


…子供の頃だと相手から「わたしもまえからすきだった」とか簡単に言われてしまって、思いがあっさり成就してしまう事なんて簡単に起こりうる訳だ。それは奇跡の現前であり、そのときの幸福感はとても素晴らしいもので、世界が自分のものになったような恐ろしいほどの高揚感に満ち溢れたりもする。でも、それでいてもなお、なぜかやはり相手から離れざるを得ないような事にもなるのかもしれない。というか、別に計算とか打算がある訳でもなく、あっさりと相手を忘れ、そのときの自分の心を忘れる。で、その「別離」に対する感傷とかも特にない。それが子供というものである。


…子供がすごいのは、たったの一日の凝縮度がものすごい事で、午前中にそんなとてつもない幸福感に満ち溢れる経験をしながらも、昼過ぎにはその事を忘れ、夕方には全く別の問題に対処していて、そして夜はまた別の事を考え、やがて眠くなって寝る。というような、大人なら一日で気が狂うような生活をしている事だ。