「Ruby Tuesday」The Rolling Stones


スルー・ザ・パスト・ダークリー(ビッグ・ヒッツVol.2)(紙ジャケット仕様)


Ruby Tuesdayを聴くと、いくらなんでもこの下手クソな感じはやば過ぎないか?と思うことがある。


そもそも、僕がローリングストーンズをはじめて聴いたのは中学生の頃で、ラジオでRuby Tuesdayが流れてきたのだが、まだ曲名も演奏者も判らない状態の中学生の耳で聞いて、これはおそらく、ラジオを聴いてる素人がカセットかなんかに吹き込んで放送局に送ったものが流れているのだろうと思った。要するに、その瞬間はとてもプロの音楽家が作った音楽とは思えなかった。当時、音楽なんてロクにしらなかった中学生の僕がそう感じたのだから、曲としていかにすごいか?というハナシだが。


多少なりともロックミュージック周辺を意欲的に聴き続けたりして、色々体験してしまうと、もうRuby Tuesdayの驚くべき簡素さというか粗雑さ、みたいな感じくらいでは驚かなくなってしまって、普通に「スローな曲」として聴けてしまう。音楽とかでもなんでもそうだろうが、聴けば聴くほど、上手い下手とか良し悪しとかセンスがあるないとか、そういうのが判るようになるというのも真実だろう。それは単純に聴き手の進化とか成長とか言う言葉がふさわしいのかもしれない。しかし、その一方で、普通に聴いて「これはひどいだろ」と思われるようなものに対して、慣れてしまって(?)平然と聴いているような事態も引き起こす。それで、素人なら「なにこれ?」っていうようなモノを、真剣に聴いてる事にもなる。そういうのが、醍醐味でもある?…まあそれも否定しないが、普通なら絶対引っ掛かるところを、普段の慣れとか惰性でスルーしてるだけの要素も多分に含みがちで、経験を積むとはまことに面白くも奥深い事である。


まあ、Ruby Tuesdayも、いま普通に聴けば、当時のように感じることはない。でも、ちょっとその時の感覚を思い出し気味にすると、わりとすぐ、そのときの感覚が蘇ってくる。で、いくらなんでもこの下手クソな感じはやば過ぎないか?と思うことになる。まあでも、その感じがいいのだけど。