6月11日


僕は音楽やら小説やら映画やらを、相当自分に都合の良いように解釈する悪い癖がある。多分それは逃げである。対象をとりあえず「解釈」して逃げ去るのだ。それは対象を喰い物にする事であり、自分が助かろうとしてるのだ。これはもう「僕という病」であって、多分死ななきゃ直らない。


たとえば、何かのある美しい全体があったとして、…あるかどうか判らないけれどもとりあえず、それを信じられたとして、そういうのを、ああ良いなと思う気持ちは、おそらく僕の中にも少しはある筈なので、まあ、僕もまんざらの悪人でも無い筈なのだとは思う(笑)。それで、たとえば僕のような者でも、自分をかんじょうにいれずに、自分の中の状態をむなしくさせる事が出来て、それで例えば何かの触媒になれたら、こんなに素晴らしい幸いはない筈なので、たぶんそう思える自分というのも、どこかに居る筈なので、…ああ神様こんな僕でも天国に行けますか?と手を合わせて空に呟いてみたくなる。…そうすると天使が降りてきて僕は天に召される。皆が泣いている…的な事も思う。(唐突だけど東京大学物語・・懐かしい)


でも、現実は沢山の作品をなんだか妙な手つきで勝手に「解釈」して、何かもっともらしく適当に誤魔化しながら書き散らして、自分でも「作品」と称して何か作ってみて、それも自分でもっともらしく自己解釈しつつ作りつづけて、それで、それら全体をやれ「美術にかかわる」とか云っているのだとしたら、実におめでたくて阿呆らしくて、そんなの、もうすぐにでも止めたいという話ではないか。人にも迷惑かけるし!…んで、僕は、かつて一度、そんな風に思った事もあったのかもしれない。


…まあ、そんなつまらない事を考えてしまう時点で、ああ・あの頃の僕より今の方がずっと若いさって感じではあるが、なんだか自分以外の人々がすべてとても立派でちゃんとしているように感じられて、その中で自分だけがきちんとしてないような、なんとも不甲斐ない気持ちになったりする典型的な中二病にかかりつつ、それを隠しもせずこうして書いてる事自体なかなかの度胸だが、まあ、それも仕方が無いよなあと思われる部分もある。なんというか自分の横着さとか、いい加減さとか、ヤケに自虐というのか自己憐憫というのか、そういうのに苛まれるが、もういい年なので、昔よりいい感じにタチ悪く、図々しく、そういうのも抱えたまま、なるべく平然とやるし、ブログにだってしゃあしゃあと書いてしまう。だって35だぜ!?こんなキモイ文章書く35歳がどこの世界に居る?って話だ。まあでも最悪、キモい美術オヤジになってもいいや。止めるよりは良い。


自分を殺す・な!という気持ちで自分を鼓舞してみる。やっぱり殺さずにやるのだー!!と思って、一度死んだ癖に生き返ってやり直し始めたのだから仕方が無いという、そういう感じで居る。でも誰か、僕の息の根を止めに来てくれないか?うそ。そんな親切な人はこの世にいませんので。