「好男好女」


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DVDにて。まあ結構難しいというか、何とも言えない余韻を残す映画であるが、しかし強い「作為の意志」に満ち溢れていて、その戦略がバチッと決まっていてカッコいいのは良く判る。「百年恋歌」の構造と良く似ていて、おそらく「百年恋歌」が本作のある種技法的反復でもあるのだろうが、こういうやり方でも、根底に作家自身の体の一部であるかのような、絶対に切り離せない「台湾」という国への思いとか歴史への拘りの強さが強靭に感じられるのがすごい。目的が明確だから自分が弄した策に溺れたりはしない。技法とかではなくて、手法が目的になってしまう訳でも無くて、質や是非はともかくまずはっきりとやりたい事があるというのが伝わるから信用できる感じがする…というか、そういう基本的モチベーションが無くてこんな映画作らないよな。とにかく異なる時代の複数の出来事を、関連があるでもなく無いでもなく…でもまあ、結果的には相当カッコよくなっている。という感じを受けた。


まあ、グダグダの恋愛模様というのは、まあ観ていてどうにもウンザリする感じも否めないのだが、それでも事あるごとにグッと感情移入させられるし、カラオケとかもすごく良いと思う。ああいうこっちにはさっぱり意味の判らない言葉で、情緒的な安いシンセのトラックで歌われる歌謡曲ってのはホントにいいもんだと思う。あと電話の着信する電子音。これが鳴り響くのが「現代」ってことなんだろう。


終盤は、非常に厳しく重い歴史の一端を観させられ、ほとんど何かを云えるような感じではない。…しかし処刑の執行を聴かされたときの蒋碧玉のあの、諦念の混じったような、余計に取り乱さず、ゆっくりと階段を上がっていくところなんかには、さすがに言葉を失くす。。そして、これは以前どこかで聞いた話だけど、中国では処刑の際、使用した弾丸の費用を遺族に請求するのだという。「300元請求されたわ。」「お金が足りないのよ」「私、少し持ち合わせがあるわ」という、あのシーンでの対話がそれを意味しているのだろうか。そのやり取りの、まるで葬儀屋の請求に応えるかのような態度にもやりきれない気持ちを噛み締める。。夫の亡骸の足元で、細かい紙を炎が耐えぬよう、ひたすらくべ続ける不思議の美しさを見ながら、ああ人間の弔いの儀式はいつも滑稽だが、しかし「弔い」というものこそ、これぞ人間の観念が生み出す究極の儀式だなあと思った。