プレイリスト


先週iPodに入れるプレイリストを大幅に入れ替えした。今回入れ替えたプレイリストは半分以上がシカゴハウス・クラシックスたちである。ずっと聴いてるともう、完全にアタマがばかになってくるようでなかなか良い感じである。


僕はどっちかというと「何もかもぶち込んでおく」タイプではなくて「こまめにプレイリストを更新する」タイプの人で、月に一度か二度は多少時間かけて「今月のレコメン!」みたいに独りで盛り上がりつつ曲をチョイスしている。そうやって、これ入れて、あれ抜いて、これも加えて…とかやってるのは、昔でいえば、手持ちの音楽の中から適当にみつくろってカセットテープとかに入れて、そのときのベスト盤をつくる行為の延長戦上にあるのだろう。昔は、46分テープの片面(23分)をどういう構成にするか、という事だけでも、相当色々考える余地があったのだ。その23分を充実した物語内容にするという事は、当時のヒマな若者だった自分にとっては、それなりに没頭に値する仕事であった。そういうのが楽しいのは、そのときの気分とかが、選曲に色濃く反映されて、そのときの自分や自分を取り巻く環境までをも取り込むことができてしまうほどの内実を、そのカセットテープがもつからであって、そういうものを未来の自分が聴く体験がとても楽しいだろうと見込めるからで、そういういわばプチ・ノスタルジーを楽しむための、それを見越しての仕込み、という意味合いもあるのかもしれなかった。


だからそれは基本、今も同じノリでやってるのかもしれず、ここ数年の過去のiTunesプレイリストもみんなバックアップしてある。でもそういうのはまず見返したりはしない。昔だったら、ほんの数ヶ月前とか一年くらい前のカセットテープとか、ちょっと久々というだけで、もうすさまじく懐かしい気持ちで聞き返したりした。僕はものすごく「安い懐かしさ」が好きなので、そういうのを、あたかも味の無くなったガムをいつまでも噛むように、完全に飽きてしまって懐かしさなど絞っても出てこなくなるくらいまで、ひたすらずっと聴いてるのが好きなのであった。でもそれは昔のことで、さすがにもう、今、この年齢になると、「懐かしさ」という感覚が根本から変質してしまっているので、ほんの微妙な距離感の懐かしさとかに、ほとんど何も感じなくなっているのだ…。


まあ、しかし今日入れ込んだこの軽薄な音を聴いてると、仮にこんなチャラチャラした音楽達を「23分」の中に「物語」として並べたとしてもほぼ無意味だとも思った。ってか、シカゴ・ハウスに「懐かしさ」なんて最初から微塵も含有されてない。そこに救われる、という気持ちもないこともない。