フジテレビの27時間テレビ


土日にやっていたさんま司会のフジテレビの27時間テレビは面白かった。まあ全体のうち島田紳助とか大竹しのぶとか、たけしと芸人たちとのペンキ合戦あたりだけしか見てないのだが、まあでも、なかなかテレビもやっぱり面白いなあと思った。久々にみたけど、ああいう皆でペンキをかけあうというのは、久々に見るとやはりなかなか、とりあえず無茶苦茶な感じは醸し出されて、なかなか面白かった。あと、とりあえず、たけしがさんまの車を動かしたら、さんまの車の屋根に前輪の片方を乗せた状態の今田耕司の車が、支えを無くしてそのまま地面に落下しそうになって、結局ぎりぎりで傾いたまま落下しなかったときは、その様子をテレビで見ていた全国の何十万もの心ある人々が一斉に「もう一回車ぶつけて落とせ!!」と思ったに違いないのだが、そしたら、たけしもちゃんと偉くて、ちゃんと全国のお茶の間の声が聞こえたかのように、動かした車を今度は後進させて、今田耕司の車が乗っかってる華奢な骨組みの足場に車体後方をがんがんぶつけて、足場自体が何度もきしんで揺れたが、結局、やはり車はかろうじて落下しなかった。そのうち、誰かが運転席のたけしに黄色いペンキをかけ、たけしも運転席もすべてが真っ黄色になった。…あれは生放送だったので、まさにどうなるかわからない緊張感があり、ああいうスリルはけっこう久々だったと思う。しかし今思い返してもあれはつくづく落ちたかった。


あと大竹しのぶという女性の物腰やしゃべり方とかも良かった。この人はたぶん、本当に目の前の元夫の事を、ある部分本当にうんざりとしているんだろうなあ、というのが感じさせられて、その漂う倦怠の感触がとても良かった。こういうのは本当に理屈というか論理的に考えて正論でどうこう考えても無駄な事で、そういうこととはまったく別のセオリーで、このふたりはお互いに対するうんざり感とか良い点とかを、既にお互いにもう、変な希望や感情などまったく抜きで、かなりドライに掴みつつ、それで未だやり取りをしているか、あるいはそっぽを向き合っていて、でもその二人の佇まいが醸し出すある空気自体は決して悪いモノではなくて、むしろふたりの人間が、決定的にぶつかったり争ったり、あるいはまたはかない幻想を見たりする事も無く、距離をおきつつもシビアさをシビアさとして抱えつつ、これからも何とかやっていくのであれば、それはまあ確かに、こういう感じでしかないのではないか、とすら思えた。というかそれは、離婚してる事でそうなれている。だから今の世の中では離婚した後の関係がもっともお互い良かったね、みたいな話もたくさんあるのだろうというのは実感としてわかった。それはもう関係ないから傷つかないし気が楽だ、という事でもあるのかもしれないし、別にそれぞれの良いと思える事を尊重したら、結婚の状態を維持しなければならないという誰かの作ったルールに合わせる義理もないので、それを優先させるのと引き替えに、今の現実がこのように只、目の前にあって、その、寄る辺ない自由さみたいなモノに対して、ふたりがおそるおそる、丁寧な手つきで模索しているような感じなのかもしれなかった。いや、だから本当に理屈ではないし正しいとか間違っているとかでもなく、大竹がため息のように漏らす一言の「…ばっかじゃない?」とか「ねえ、だから少しは大人になろうよ」とかの言葉の意味から受ける感触以前の、その諦めとかため息に近いような、「他人」のあらわれるある瞬間だけが、唯一の信頼に足る「質」であり、それだけが人生なのだなあと強く感じた(うそ、それは大げさすぎ)。