ジャスパー・ジョーンズを観て


ジャスパー・ジョーンズは昔から好きな画家であった。大方の人がラウシェンバーグから受け取るのであろう感覚を、僕は高校生くらいのとき以来ジャスパー・ジョーンズから受け取っていたような気がする。もちろんラウシェンバーグも同時期に知ったはずなのだが、ファースト・インパクトとしてのジャスパー・ジョーンズはまだ若い自分にとってデカかった。あのダークな感じとゴシック体のアルファベットがグズグズ崩れていく感じ…。特にリトグラフ作品が好きで、当時買った画集は結構何度も見た。(なんというか、BlueNoteとかRiversideとかのジャズレーベルのレコードジャケットがカッコいい、とか思ってるのと同レベルに思ってたフシもあるが。)グレー系の使い方が好きであった。でも僕は個人的に昔から、自分自身で描く際には黒とかグレーを操るのが駄目な人で、よくあるアメリカ型の、油彩とは違う質感の、すぱっと歯切れの良い、地も露わなキャンバスに直にエナメルとかペンキみたいなもので描かれたような、あの冷たい独特の感じを、カッコいいなあとは思うもののどうしても自分ではそういうものを上手く操れず、素材として扱えなくて、イメージをかたちにするところまでは至れず、仕方がないので今までずーっと褐色系の色ばかり使って絵を描き続けてきたようにも思うのであるが。それは完全に自分の好みという名の堅い殻なので、自慢にもならないこだわりに過ぎないのだが…でもまあ、あぁ僕とこれらとは元々の出自も風土も違うんだなあ、とか思ったような思わなかったような記憶もある。


ジャスパー・ジョーンズの作品というのは、そのモティーフが数字であったり標的であったり国旗であったりする事が、どうしても何かの言い訳めいた感じで、アイデア先行型というのか、最初に立派なコンセプトがあるから、もう作品の良さがある程度確定的で揺らぎにくいという退屈さを含んでおり、それが弱点ともいえるのだろう。でもジャスパー・ジョーンズは、普通に絵が上手いし、蜜蝋バリバリのタブローよりもむしろリトグラフなどに良いものが多いと思う。比較を絶して圧倒的に素晴らしい、とは言いませんが。でも今回展示されていて観る事が出来た数字のシリーズなど、そこそこ大きなサイズのリト連作で、1から9まで横にざーっと並んで展示されていて、あぁなかなか良いものだなあ、と思えた。観てると特に「2」とか「3」が悪くない。取っ掛かりを得て、気持ちよくやれていると思える。そういう見方(つまり数字や国旗を隠れ蓑にして描き手は表現主義的な愉悦に浸っているといて、観る側も完全にそういう視点で鑑賞している。つまり全然反動的なものでしかないということ)は間違いだ、とどこかに書いてあったけど、僕はそれでも別に良いと思ってる。とはいえ、「2」とか「3」が良くできてるような気がする、などと思ったりもする事が妙に馬鹿馬鹿しいような気持ちにもさせられて、そこがまた面白い。