弓型に反った竹が、その円弧を接するようにして画面に取り付けられており、画面内のイメージはあたかもその状態に強く反応し、磁力に反応した波紋のようにも見える、同じような取り組みで80年代につくられた作品が三点展示されていて、これらは僕としてはとても好きな作品で、かなり長時間観ていたのだが、その後しばらくして、ほとんどその竹の弓形のことしか観ていなかった事に気づいて、後でもう一度作品の前まで戻って、改めてもう一度じっくり観たりもした。
作品自体はこれまでの中西作品そうであったように、例によって室内用イーゼルに掛けられた状態で展示されている。なのでイーゼルの裏側にまで回り込んで、キャンバスの裏側を観る事ができたので、絵の前後をうろうろと何周かした。
絵の裏側を見ても、何の変哲もない普通のキャンバスであるが、しかし輸送業者の書いた伝票とか、画廊が貼り付けた作品名および作家名の貼り札とかが木枠に糊で貼られていて、あと、その作品を展示するときの注意点が、作家直筆のメモ書きのコピーしたもので木枠に貼り付けられていた。
注意書きはふたつあって、まずひとつは「壁に対して水平な状態で掛けること」。たとえば上部から釣り鉤で絵をぶら下げるように掛けて、絵全体が少しだけ下を向くかたちで画面の底辺だけが壁面に接しているような展示状態が「悪い例」として図で示されている。あともうひとつが「竹弓と画面の接合部にはたまにグリスかオイルを塗ること」と書かれていた。画面の前に戻って竹弓を観ると、たしかにその弓の湾曲が画面に接するつなぎ目のとこは、金属の蝶番と針金によって固定されており、その金属部分と竹の部分とが共にうっすらと黒ずんで湿っているのであった。
このメモ書きの内容と、絵の展示されている状態には、僕はある種の感動をおぼえた。この考え方に従いたい、という気持ちにさせられた。で、その場を立ち去ることができず、いつまでもその絵の傍らに居続けた。今回、この美術館を訪れてもっとも心を揺るがされたのは、中西夏之によるこれらの作品である。