フェルメールを観て



先週の土曜日はフェルメール展に行ってきたのである。思ったほどの混雑ではなかったが、でもやはりかなりの人である。とはいえ、ここ数年間の間だけで、現存するフェルメールの全作品のうち、我々日本人は何点を観ることができたのだろうか?それはもう、多分、世界の中で、相対的に考えて、すごい数である。世界中でフェルメールを好きな人が何人いるのかわからないが、そのうち実作品を5点以上観た事のある人が占める割合って、無茶苦茶少ないんじゃなかろうか?もはやこれは、日本人に生まれてきて、それで良かったのか、あるいはこんなに観れる事自体、何かが大きく間違っているのかも…


「ワイングラスを持つ娘」という絵の、各細部のものすごさもさることながら、やはり何よりも右側の、少女の背中側に突き抜けてゆく空間のおそろしさに唖然としてしまう。このすき間は何事でしょう?という感じだ。椅子の背もたれは上部から足元にかけて、ほぼまっすぐのラインになっているけど、それもそれなりにショックで、赤いドレスのスカートの広がりも、何とももはやこの世のものとは思えない奇怪さに感じられて、つくづく重力という言葉をかみ締めてしまうのである。


遠近法という技法の本来持っている荒々しい暴力性。などというとおおげさかもしれないが、しかしある一定の法則にすべてを押し込めていく事のおそろしさ、その凄みの効いた迫力、みたいなものはあると思います。規則とか統制とかいうものの、どうにも抗いがたい吸引力というか、その魅力に浸る感じ。