桜の園


昨日、水村美苗本格小説」上下巻を読了したのだった。で、そのまま今日から、チエホフ「桜の園」を読み始めている。「本格小説」は嵐が丘が下敷きになっているそうだが、とりあえず僕はそのままスムーズに続けるようにして「桜の園」が読みたくなってしまった。チエホフは桜の園とか可愛い女とか犬を連れた奥さんとかを10年以上前に読んでいたが、いまや完全に忘れてしまったので、それをもう一度あらためてはじめて読むかのようにして読んでみる。「本格小説」読書中に温まった機関系が冷めないうちに切れ目無くそちらに読み移りたいと思って、読後の感想とかそういうのも置き去りにして何事もなかったかのようにして読み進めている。


でも、まだ序盤でしかないけど感じるのは、本当にラネフスカヤもアーニャもドゥニャーシャも、おそらくロパーヒンでさえ、皆、愚かなまでに人の良い、かなしいまでに善良な、何のちからもない、凡庸にそこに生れ落ちた人々でしかないのだ、という事で、そのことだけが、ほとんど痛いほど、とても強く感じられる。懐かしい「子供部屋」へ帰ってきた家族を中心とする登場人物たちの、深夜の2時を回っても興奮状態の、実にばらばらな、喜びと悲しみと不安の入り混じる焦燥感溢れる濃厚な時間。。手がぶるぶる震えてしまったり、喜びに感極まったり、果てしないお喋りにうんざりして、もうたくさんだと口に出してしまったり、これが夢ならどうしよう?ほんとうに、ここに座っているのがわたしなのかが、わからなくなってしまったり…際限なく続く愚かな愚かな、それでいていつめでも続いていてほしいような慎ましい喧騒だ。「マントンの近くのご自分の別荘も売ってしまったし、ママにはもう、なんにも残っていないの、なんにも。わたしだって、一コペイカもなくなってしまって、やっとこさで帰ってきたのよ。だのにママったら、ちっともわからないの。駅の食堂にはいると一ばん高い料理を注文するし、ボーイのチップは一ルーブリずつなのよ。シャルロッタも同じなの、おまけにヤーシャまでが、ちゃんと一人前とるの、見ちゃいられないわ。ヤーシャって、ほら、ママのボーイよ。それも一緒に連れてきたの……」