加藤登紀子


普段はほとんど夢は見ない。もしかすると毎日見てるのかもしれないが、だとしたら目覚めるときには既に忘れているという事だろうと思うが、とにかく見た夢をおぼえている事は極めて稀である。しかし休日となると夢を見る確率はぐっと高まる。


妻が見せてくれた本の内容によると、夢がその機能を不全のまま終えると、その残滓が記憶となって残り、後で目覚めたときにその残滓をもとに言語によって再構成するので、その再構成物が「昨日見たのはこんな夢」という内容になるのだという。それは、覚醒後2時間もすれば生々しさを失い、正午を過ぎればテーマというか概要的な事しか記憶に残らなくなるようなものなのだという。僕の場合、平日の朝は携帯のアラーム音で起きるので、いわば眠りとしての終了をかなり人工的に切断している訳で、それだと前述のようにまったく夢など記憶になく、つまり夢の機能がそれなりに稼働し尽くしてしまっているのか、記憶領域に保存される前に睡眠を切断してしまっているのだろうと思う。


だが、休日など、決まった時間に起きる必要がないときは、一旦目覚めても、そのままダラダラとうつらうつらとまどろんだままの数時間を過ごす事も多く、いつもの覚醒が訪れ、このまま起きてしまうか、もう少し寝てしまうかの軽い決断の場が生じて、しかしそこで確固たる決断を下すこともなく、なす崩し的にずるずると、それがそのままに捨て置かれ、はっと気づけば、次の一瞬が、もう2時間以上の時間経過となって時計に刻まれていたりする。夢が見られていた事を発見するのは、決まってそういうときである。広大な海のある一角にすごい漁場があったようなものだ。その時間帯に限ってはそこで見られていた夢がありありと、まるで現実であるかのように記憶の領域に平然とたちのぼってくるのだ。内容以前に、うわぁこれが「夢」だ、「夢」見た!と思うくらいの驚きがある。なにしろ普段あまり見ないので。。


今朝は加藤登紀子と一緒に居る夢を見ていた、ということを目覚めてから記憶領域の中に色濃く残存している事を発見し、しばらくそれの再上映を見続けるしかない状態の朝であった。。


僕と、加藤登紀子がふたりで、登山しているのだ。僕はもう決して若くはない加藤さんの事をほんの少しだけ心配しているが、それ以上に、僕が加藤さんに較べてまだ微妙に元気で体力もあり、これくらいの登山ならそこそこ平気だということの方が、より強く意識されている。わりと急な傾斜の階段を、加藤さんが先頭で、後から僕が登っていく。なぜか、加藤登紀子が荷物をどさーっと下に落としてしまう。荷物は、僕の遙か下の階段のふもとの方まで落ちてしまったので、僕はそれを見るや否や、かなり機敏な素早い動きで、さーっと勢いよく階段を駆け下りて、その荷物を拾い上げて両手に抱えて、そのまま再び元の位置へ、勢いよく階段を駆け上る。すると加藤登紀子が、まあありがとう、早いわね、と言う。その言葉や表情を、僕は最初から予測しており、その予測に向かって、機敏な行動をとったのだという事は密かに認識されていたので、軽い満足と軽い退屈がある。それに加えて、加藤登紀子の「過去」を既に僕がよくわかっていて、それに自分が加わるのかもしれないという妙な予感も感じている。(ここは今書き起こしていてもまったくの謎。加藤登紀子の過去とか、別にまったく知らない。でも今webでちょっと調べたら、なんか聞いたことあるかもと思われるような内容だったので、夢の中の僕はおそらくその内容に対してなにがしかの緊張(?)を感じていたのだろうと思う。)