Monitor One Side Only


人間には目も耳も二つある。それは視覚なり聴覚なりを脳内でステレオフォニック的に組み立てるためである。なので人間にとっては視覚も聴覚も、異なる受信装置から別途受け取った情報を脳内で変換・再構成した事後的なものである。


しかしたとえば写真を撮る人で、特に激しく移動して撮影位置を変えながら撮影するような人というのは、カメラのファインダーに片目をあてながら、もう片方の目は周囲の状況をみていたりする。そのとき、そのカメラマンの意識にのぼっている視覚情報としては、カメラのファインダー内部のイメージと、自分の前方に広がる景色の片目で見た状態のイメージとが、激しい齟齬感と違和感を伴いながら無理やり同時に展開されているような状態で、カメラマンはそのイメージ全体から自分が必要とする領域をモニタリングしながら、自分の仕事をすすめる。


あるいは、クラブDJは大音響で再生されるサウンドの中心にいながら、片側だけのヘッドフォンで、別の曲をモニタリングしている。そのとき、そのDJに聴こえてきている聴覚情報としては、今フロア内で再生されている音と、片側の耳から聴こえてくる全然別の曲とが、その不協和な感触を剥き出しにしたまま、ただピッチの同期だけを唯一の欲望として同時に聴こえているような状態である。


イメージに関わる仕事の人というのは、その仕事の途中で、どうしても片耳か片目の情報だけを問題にしなければいけないのかもしれない。…などということを一瞬だけ、仕事中に考えた。なぜかというと、今日は朝から晩までひたすら客先や仕事先と電話してて、鳴ったりかけたり、話してる途中で別のが鳴ったり、イメージもクリエイティビティもへったくれもなく、もうひたすら、忙しないことこの上なく、長くなるときは、電話を肩で支えながらキーボードを叩いたり各種操作したりしており、相手もそうなので、何も喋ってないときでも、ずーっと通話中状態である。ずっと片耳が相手先の環境のたてる微かな音を拾うのを聞いている状態で、もう片方の耳は自分のオフィスの物音を聞いていると、電話っていうのは、片耳だけで聴こえるから、面白いのだなあと思って、いやいや、その通話自体は仕事だし全然楽しくもなんともないのだが。