Heading Up / North Up


今いる場所で、どちらが北かをすぐにこたえられる人はいったいどのくらいいるのか。たとえば僕は今、自分の部屋に居てこれを書いているのだが、正直言って、いま、どっちが北なのか指差してみろ、と言われても無理というか、じつは全然わかってない。まあ、それ以前に、どちらが北か?という話に、あまり興味がないのだと思う。もちろん、自分の住んでいる建物を含んだ地図情報を見れば、当然、地図なら上の方角が北なのだから、自分の住んでいる建物の向きと、実際にいま自分がいる場所を取り囲んでいる空間の感じを照らし合わせて、その脳内計算の結果、なるほど向こうが北か、と理解することはできる。でも、そんなのすぐに忘れてしまうに違いない。そんな情報に価値があるとは思えないのだ。僕は、たぶん方角というものにあまり興味がない。というか、たぶんそういう認識能力というかセンスが、欠落しているのだと思う。でも、北マクラ、とか言われると多少は気にする。やっぱり人並みにそういう事は、多少縁起をかつぎたいとは思う。でも最初から事実としての北を確かめる気持ちに欠けているんだから、北マクラを嫌う資格もないといえばないのだ。


そういえば昔、「東小学校」という名前の学校に通っていたのだが、当時から大変気になっていた事として、なぜあの建物が「東」と名指されなければならなかったのかが、全く理解できなかったというのがあった。いったい、何が東だというのだろう?僕は当時、毎日、線路沿いのゆるい坂道をのぼって、学校まで通ったのだが、そのゆるい坂道を登り続けていくと、やがて右手に校門に続く細い下り坂が見えてきて、そこを下って校門を通り抜けるのだった。正直、当時の僕の中の感覚としては、その時点でそこは「東小学校」ではなく「右小学校」とでも呼びたいような思いがあった。僕にとって、その校舎は「右」にあるという事実、以上ではまったくなかったのだ。


このまえ会社の人と飲みながらだらだら喋っていて、その人は車の運転をするとき、カーナビをいわゆるノースアップという、画面上で常に北が上にあって自分がその固定地図上を移動し続けるモードに設定していて、しかも縮尺も相当大きくかけているので、自分の周囲に何があって、数十メートル先がどうなっているかとか、そういうのはカーナビ上ではまったくわからないが、今の道がやがてどの道と交差し合うのか、とか、そういう事だけはよくわかるような、つまり文字通りの地図の上を、この私が移動しているという感じで表示されるようにしてるらしいのだが、その人の助手席に乗ったまた別の人がそのカーナビ表示を見て「これでよくわかりますね!」と驚いたのだそうだ。その驚いたほうの人は、普段カーナビの設定としては、移動する自分自身が中心に固定されていて、周囲の地図がぐるぐると動き続ける、いわゆるヘディングアップというモードにしていて、しかもきわめて近距離な縮尺に設定していて、それこそ肉眼で確認できる店舗や建物が、カーナビでもほぼ同じように確認できてしまような、そういう使い方をしているという事だった。


ぼくもどちらかというと、ヘディングアップなライフスタイルのような気がするのだけど、でもノースアップなライフスタイルな人たちの感覚もわかる気はする。いわゆる製図とか記号表現と現実をつなぐ媒介として私がいて、だからこの私が十全に機能しなければならないと考えているのが、ノースアップな人々という感じがする。ある種の抽象に強いというか、抽象を無理なく生きられる人々というか。この私が担う役割というものに従順というか。


ノースアップな人は意外とよく、ヘディングアップな人を馬鹿にして笑うのだ。なぜそんな目先の事に囚われるのか?と。でも僕に言わせてもらえば、ノースアップな人は北をあまりにも信用し過ぎていて、それはそれで構わないけど、でも世の中にはあなたの信じる北を同じように信じない人もいるんだよ、という事は小さな声で言いたい気がする気も少しはする。まあでも、大概の場合は、ノースアップな人の方が正しいし効率的で合理的なので、まあ面倒くさいこといわずに、大人しく従っていれば、皆悪いようにはならない、というのもこれまた厳粛な事実だ。


しかしヘディングアップにしてもノースアップにしても、どちらも事実からどのように距離をとって、どのような定点で自分と事実との距離を納得するか?という事に対しての、とりあえず発見されたある方式なのだと思うが、絵画とか小説とか音楽も、事実から何がしかの距離をとるというときの、その作法が問われるのだとは思う。それもおそらくは地図情報とそれほど違った認識作用ではなくて、いわゆる空間把握のバリエーションなのかもしれないが、そこにヘディングアップでもノースアップでもないが、しかし少なくとも同等かそれ以上の説得力をもった方式の発見がなければ、おもしろさは無いだろう。