幸田文「流れる」は読み進めていって、どこまでも変わらず素晴らしい。1ページ目からひたすら延々、良い。数ページ戻って一度読んだところを読み直しても、やっぱり良い。といっても、まだ30ページしか読んでないが、でも最初から30ページくらい読んで、どこも全部が良いなんて、ほんとうにすごいと思うのだが。

 いきなり始まって、わーっと忙しい展開に放り込まれていって、翻弄の中でなんとか舵を取ろうとする主人公のことが、さいしょの勢いのままの、つまりまだ序盤の空気のなかで速度にのって畳み掛けられていく感じの箇所に過ぎないのだが、それが最初から、ある一縷の、一つながりの、何らかの脈が、ずっと息づいてるというのか、そのあらわれかた。テンション、香りの立ちかた、景色の見えかた、何と云ったらよいかわからぬ、あるはっきりとした存在感。ほとんど自分自身の過去の記憶のような、昨晩見て未だ鮮明におぼえている夢のような、それほどの強さで、それがこう、いつまでも引き続いていて、こういうのを、ああすごい、いや僕は要するに、こういうのが好きなんですよと、断言したくなる。僕も性格が奥まったところの日陰のところにあって、なかなか、断言したくなるような気分というのは、ないのだけど、これは例外。

 ということで、あまりにも良くて、もうこの作品はこの後も、おそらく最後までずっと良いだろうというは予想がつくので、そうなるともう、あわてて読み進む必要はまったくなくて、むしろ自分が良いコンディションのときで、かつ時間がいっぱいあるときに、心ゆくまで読むのが正しいので、べつに電車の中でちまちまブツ切れのまま読み進まなければいけない理由はないということになった。そうなると他にも何冊か別の本をもつことになって、鞄は重くなるがこれは仕方がない。いつまでも鞄に入りっぱなしのまま開かれもしない本というのもあるものだが。