汚れた血」をDVDで観た。たぶん約二十年ぶり二度目の観賞。これはかつて、たしかに凄いと思ったことを思い出す。いいとか悪いではなくて、腫れもののような、直接的に身体に刺さる痛みのような作品で、その時、折々において、常にほんの一握りの音楽や文章だけが持つことを許される剥き身の鋭さを有していて、とくに若いときであれば、ふいにこういうのを観てしまうと、それ以降、人は顔色も表情もさっと変わってしまい、もう観る前には戻れないという思いに駆られて、一瞬でも自分が触れたと感じられた何かに対して、その記憶を信じてどんどん進むしかなくなってしまうのだ。それで個人的には、あれから二十年経過しているというのは、なんか悪い冗談のようだ。


で、冒頭にあるパラシュート降下のシーンをすっかり忘れていたので、これは凄かった。こんな怖いことは、絶対に厭だと思わないではいられない。そもそも飛んでいる飛行機の開け放たれたドアに腰かけて、両足を虚空にぶらぶらさせながら、飛び降りるタイミングを待つという、あれだけで僕は顔にうっすらと汗が浮かぶほど嫌だ。というか、あの飛行機の銀色の機体の表面を観るだけで、ある種の不条理感が胸の奥からのぼってきて嫌な溜息が出る。さらに、主人公二人が、身体を寄せ合って、降下中のパラシュートにぶら下がっているのを上から、つまりパラシュートの内側から見下ろして撮ったかのようなシーンがあって、要するに地上何十メートルだか何百メートルだかのはるか真下の地面を背景に、真ん中に身を寄せ合っている二人の頭があり、それを中心としてパラシュートの紐が放射線状にひろがっている構図なのだが、これは一体、どうやって撮影したのかと思ったら、特典映像としてメイキングフィルムが収録されていて、それを見たら、どうやら気球の籠にパラシュートの大きさくらいの円形の輪を設置して、そこにパラシュートっぽく紐を付けて、それらの紐で役者二人をぶら下げて、如何にも降下中といった感じにして撮っていたのだ。だから実際に、役者二人は空にぶら下げられたわけで、これは絶対怖い、いくらなんでも怖すぎると思った。それにジュリエットビノシュは実際にパラシュート降下もしたようで、着地したあと笑顔でカメラに手を振っている。まったくとんでもない話である。実際、これをやった後であれば、ドラマを演じるという意気込みというか、思いそれ自体も変わらざるを得ないのではないか。