今週は、休みと取れれば稀に見る大型連休だし、さすがに電車も空いているのかと思っていたら、全然そんなことない。皆、今週から休めばいいのに、なぜ働いてるのか。朝も夜も、いつもよりも余計に混んでる感じだ。今週はもしかすると、ずっとこうなのか。えーー、嫌だなあーーー。

 それ以前にもマナーといっていいものはありましたよ。「シヴィリテ」といいまして、お行儀なんかを書いた本がたくさんでました。ラテン語で書かれたものとか、オランダのユマニストのエラスムスなんかも書いてますね。

梅禎 人文主義の時代やな。

 そのころはフォークなんてありませんから、指でおさえナイフで切って、ナイフをつきさしたまま口にはこんでた。だからナイフの先は、とがっていたわけです。それがあぶないというのと、フォークがでてきたからナイフの先は丸くなったんです。
 それからスープなんかは大きなスープいれにたくさんはいってでてきた。大きなスプーンつまりルーシェが一本ついてきて、みんなそれでまわし飲みをしたんです。だから伝染病なんかがはやるとみな死んでしまうわけです。スープを飲むとき、そういう大きなスプーンだから、ひげをはやした人なんかはひげについちゃうでしょう。ひげのついたのを隣の女の人なんかは気持ち悪がるから、せめてひげをつけないように飲めとか(笑)、そういうことがその「シヴィリテ」に書かれています。
 それから、口の中にものがはさまると、ようじなんてないから手でとって、とったのはぜんぶ地面にパッでしょう。それも地面にやるのはまだ行儀のいいほうで、机の上にやる(笑)。だからそれがとぶからやめてちょうだいという本とか。それがだいたい十七世紀のことです。(『料理に「究極」なし』「食卓の比較文明論」130〜140頁)


その中世を通じて、フランスの料理でひじょうに特徴があるのはマナーだろいうことを申し上げました。それはどういうことかといいますと、そばにいる人が気持ち悪くならないように食べてみせるという方法です。もともとみんな指で食べていました。古代ギリシャでも古代ローマでもほとんど指なんです。熱いものはどうするか、熱い肉のかたまりを取るときどうするかといいますと、特別の手袋があったんです。指サックみたようなもの、ゴムじゃない布でできていて、三本に分かれている。この三本指で取ったというんです。手袋がぬれるとすぐ取りかえる。そういう時代があるわけです。(『料理に「究極」なし』「ヨーロッパの料理とその変遷」179頁)