高尾にある多摩森林科学園に行く。中央線に乗っていると、立川を過ぎたあたりからはっきりと気温が下がってるのがよくわかるのは、電車が駅に着いてドアが開くたびに骨まで凍るような冷気が車内に入ってくるからで、とにかく寒さというものは人のメンタルを簡単に崩してしまうもので、下半身や、袖口や、首周りといった部分から体の熱が逃げていくのがおそろしいような、何とも頼りない気持ちになるもので、電車が終点の高尾に着いて、駅に降り立ったら、寒さがあまりにも強烈なので、このまま引き返そうかという話になりかけたが、まあ、少し我慢してちょっと歩いてみましょうかと考え直して、ほとんど誰もいない冬の枯山みたいなところに、入場料三百円払って入った。園内は樹木園と桜の保存林から構成されており、施設名のとおり、かなりちゃんとした管理がなされた、森の生物全般の生態を監視・研究する実験施設という感じで、これは生物が活発な季節に来ればそれなりに独特な面白さがあるだろうと思われたが、なにしろ冬なので、どの木も草もすべて冬仕様で、まさに生命の温かみがまったく感じられない、白い空を背景に樹木と枝が線描のように鋭く交差しているだけの、荒涼とした世界がひろがっているだけで、しかしこれはこれで、この何もなさ、みるべきもののなさ、おそろしい貧しさそのものに、なぜか不思議な満足感というか安堵感をおぼえるようなところがある。それを良いと思ってないし、好きなわけでもなく、文字通り、物足りないと思っているのだが、それが、かえって良いという、物足りないくらいで良かったという、いったいなぜそう思うのか。ワビサビとか欠落のナントカとか、そんなよくある、もっともらしい話ではなくて、どっちかというと、埼玉県のうちの実家の近くの何の変哲もない雑木林でも変らないような、見るに値しない、まったく珍しくも無い、ただの枯れて朽ちてる感じに、そう、これだこれだと思って、わざわざ高尾まで来ても、やっぱりこれだねと思って、まあ、それはそれで、とにかく暖かいお茶とオニギリを持参して来てはいるので、こんな状態だけど、せっかくだからここで食べようということになったが、何しろ、ものすごく寒くて、こうして立ってるだけでも寒いのに、本当にここで、座ってものを食うのか?という感じだ。地面も、切り株も、所々に設置してある木のベンチも、あらゆるものの表面は、冷気に曝されたまま、しっとりと濡れていて、ところどころに霜が、霧吹きで吹いたように、薄く白くひろがっている。歩いていると、霜柱をざくざくと踏んだりする。でも、これでもまだ、マシかもしれない。来月になったら、もっと厳しい寒さで、きっとこのあたりも多くの部分が雪に覆われてしまうのかもしれない。とにかく今はまだ、水は凍ってないし、我々は適当な場所のベンチに座って食事をした。そして、人間は食べると、体内から熱を発するものなのだというのを実感した。食べたあとはかすかに元気が快復して、さらに園内を歩いた。こうして寒さに強くなったほうがいいのだ。これだけの寒さのなかをこうして歩いているだけでも、なかなか凄いことだ。そういう満足感に支えられて、侘しい景色のなかをさらに散策する。