とりとめのない時間。いつ終わるとも知れない時間。日々はおそらくそういうことの連続であるはずだが、それを昼と夜に区切って、夜なら六時から九時までとか、ラストオーダーのあとしばらくの余韻とか、そういう風にあえてわざとらしく区切る。区切ることで、どうにか成立することは多い。世の中の仕組みのもっとも基本的なところとして、外部的な条件を利用して時間を区切ることができるというのがある。世の中の仕組みをいっさい利用しないのであれば、時間を区切る行為はすべて自分がやらなければいけなくなる。これは、あたりまえと思う人もいるだろうが、時間を区切る行為を外注している人は相当な数いるので、これをすべて自前となると、相当な混乱が予想される。ほかにも、落としどころとか、切り上げどころとか、そういうのがすべて、世の中の仕組み的には、基本プランの中に全部入ってるので、無意識なら何も考えなくていいのだけど、全部自分でやるなら、全部自分で取り仕切る必要がある。生きる、において、全部の時間を区切り、〆の機微、落としどころに切り上げどころ、何もかもするのは、あまりにも大変だ。でもやれないことはない。自分の過去を元手にするのだ。それだけを元手にやっていることが感じられれば、それはちゃんと鈍く光るようなものになるはず。でも普通はしない。お任せで、時間で予約を入れるのだ。それが皆にとって安心だから。