北千住でヴィスコンティの「ルードヴィヒ」を観る。13:00から17:00過ぎまでと、確かに長かったが、でもじつはそれほど長いとも感じてないかも。ヴィスコンティの作品というのは、他もそうだけど、大体ただ、だらだらと冗長というだけで、ぼけっと観ていてもさほど困らないというか、もしカットしてあってもあんまり問題ないというか、わりとそういう作りだよなとは思う。


でも面白かった。とくに後半になるにつれ、本人の狂気がどんどん進行して、没落の気配が濃厚になっていくあたりの迫力はやはり素晴らしい。これはもう没落劇のまさに代表的映画作品といって過言ではなかろう。半世紀後のドイツにおいて、ヒトラーとその側近たちが栄華の頂点から末期への過程において、この国王の半生をじつに律儀に踏襲したのではないかと思われるような、あるいはマイケル・ジャクソンの晩年を妄想させるような、人の世の、春こうろうの花の宴、めぐるさかずきいまいずこ、な、じつに見事に絵に描いたような夕暮れ、黄昏の味わいである。これから夜が来るのだ。また降り出したのか。この雨はもう上がるまい。永遠にだ。


出てくる登場人物の、映画の描写または演出的な部分における、とくに女性に対する仕打ちの冷たさというか、関心の無さ、根本的な冷酷さが凄いように思った。翻って、ふと目に止まった男性の魅力、そこにほのかに漂う官能というか、性愛の予感みたいな感覚には、とても繊細でやわらかな手つきで描写が施されるという、びっくりするくらいのギャップがある。結果的にルードヴィヒ自身の心の中のもっとも奥底にある部分というのが、細心の注意を払われて表現された恋人たちの仕草であり表情、あるいはたまにあらわれる誰かの裸身のあけっぴろげさ、というものに代替されていて、全体的にはわかりやすい話なのにその箇所だけはおぼろげなかすかな予感めいた何かとしか匂わされていないような印象だ。


しかしものすごい贅の限りを尽くした美術の数々なのだろうけど、映像で見ている限りではどうもイマイチよくわからないというか、ほんとうに二昔前くらいの豪華ホテルというか、三十年前の高級フランス料理というか、今の目にはほとんどキッチュにしか見えない調度品たちで、でもそういうのを観にいったという気持ちもあったのだけれど、これはまあ、なかなかそんなものかという感じ。衣装なんかは今見ても全然かっこいい。丈の長くウエストの絞られたコートなんか、まさにゲルマン的でじつにカッコいい。バイエルン軍の軍服もいい。やっぱり軍服は重要だ。自衛隊も近日中に制服をリニュアルしないとだな。で、食事のシーンも期待してたのだけれど、やっぱあの当時は豪勢過ぎてテーブルの上に燭台だの花瓶だのが置かれすぎていて肝心の料理がまったく見えない。いったい何を食っていたのか。というか、ルードヴィヒ自身はほとんど何も食ってないというか、ひたすらシャンパンばかり呷っていて、おおよそ食を楽しんでる風ではない。まあ豪勢の過ぎた大皿にてんこ盛りの料理は美味そうではない。


ルードヴィヒのお城に行くには船に乗っていくのだけど、何度か出てくるその水面を船が進んでいくシーンが毎回素晴らしくてうっとりする。やっぱり、映画は外でロケしてくれないと息が詰まるなあと思う。実際はは本物のお城を使ってロケしたりもしてるらしいけど、やっぱり外の景色は大事だ。


終盤はばたばたっと色々あって終わったけど、なぜか少し急かす様な、畳み掛けるような、さあさあ、もう終わりだぞ、というかのような感じで終わって、なかなか良かった。