格闘技を観る(5)

さて、結論を先に書くと、試合は負けたのだが、しかし1ラウンド終了まではなかなかの接戦。いや優勢だったと言ってよい。相手を組み伏して上空から連続で拳を降り注ぐ一方的な攻勢状態にまで至り、そこで時間切れで2ラウンドまでのブレイクとなった。


強いじゃん。勝つ?勝つだろ…。誰もが自然に、そう思ったはず。


勝ちたい、取れるものなら、取っておきたい。それを取って、何の問題もない。あわよくば、そうありたい。もし許されるようであれば、戴けませんでしょうか。もし今日、そうなったら、かなりいいんだけどね…。


(後で聞いたら、たたかっている当の本人もその時点で勝ちを確信したらしい。確信して、高揚感に包まれていたらしい。)


しかしラウンド2開始直後に、様子が変わった。「あれ?疲れたの?」と思った。前ラウンドに較べて、極端に動きが鈍い。やはり、年齢的な限界ってこと?でもそういう限界が、こんな風に露骨にあらわれるものか。だとしたら、なかなか残酷な話じゃないか。逃げても逃げ切れず、じょじょに撃たれ始めて、一瞬、Yの口元からよだれが線になって光りながら弾け飛んだのが見えた。あとは棒立ちのふらふら状態が、拳を受け続けるだけになった。時間の進み方が遅くなって、レフェリーストップが掛かった。


何が起きたのかというと、開始早々、拳の直撃で意識がほぼ飛んでしまったそうで、目も見えず耳も聴こえなくなって、本人の意志はその時点で無効となり、ほとんど無抵抗状態で終わってしまったとは、後の本人の弁である。


おお…終わった。負けか。この言葉の無さ。何もない。

身体は、大丈夫ですか?

客席から立ち上がって我々はリングを覗き込んだ。


敗者はわりと普通に起き上がって、リングを降りると、さっきとあまり変わらない態度で「あー、負けたー。くやしいー。」と、でかい声で叫ぶ声が聴こえて、それを聞いて我々はとりあえず笑った。ここは、笑うところだと思われた。でも誰もがこころのなかでは、ほんとうに面白いと思っていたのかどうか定かではないが、とりあえず、しばらくのあいだは笑った。


試合が終わったあと、皆で池袋まで移動して、焼き肉屋で残念会。


負けた人は、相手の拳をもろに受けた右目にコンビニで買った氷の袋をずっと押し当てていた。そして同じ言葉を繰り返していた。「悔しい悔しい」


そんなに悔しいと思うことなんて、僕はもう何年も無いわ、と言った。

だよね?「まあ、いいか」とか「こんなもんでしょ」とか、思うことはしょっちゅうだけどね。

「もう負けたってことでいいや」とかさ。と、Fが応えた。

「いやいやいや、俺も悔しいよ、本人は当然だし、俺だって悔しいよ。」とWが反論したが、話が長くなるのを嫌って皆Wを無視した。


「あー、超悔しいよ、亮ちゃんごめんね、せっかく来てくれたのにさあ、まじで悔しいよ、ほんとごめん。」と、Yは顔半分を氷の袋で隠したまま、うわごとのように喋り続けていた。氷の袋をちょっとどかすと、目の真下にまるで水色の絵の具を付けた細い筆で描いたみたいな鮮やかな青痣が浮かび上がっていた。


「いやー、いいよいいよ、面白かったよ。またやるんでしょ?また挑戦すればいいよ。」と言ったら「そうだなー、うーん、まあわかんないけど、やるかもしれないけどね。」とのこと。


ちなみに、Yの奥さんは試合直後に帰ってしまったらしい。というか、出場の順番が近づいてくるにしたがって、ほとんど冷静ではいられなくなってしまったらしく、結果だけ見るのが精いっぱいだったようで、

「まあ、それはそうかもね、俺たちが見てる気分だって、相当ストレス高いのに、身内で、自分のダンナの試合を観るなんてキツいに決まってるよ。」

「まあ、近いうちにまたもう一回奥さんも含めて残念会かね。」

「でも今回負けたから、次回試合に出れるチャンスがあったとしても、奥さんが出るのを許してくれるかどうか、そのあたりがなあ。」


「そういえば2ラウンド目開始のとき、なんか、笑ってるみたいだったけど。」

隣で観戦していたFが、リング上のYをみて そう言ってた。

たしかに僕もYの笑い顔を、見た気がする。

「あのとき、あれ、笑ってる?とか言いあって見てたんだよ。」

「いや、おれ、あのときまじで笑ってた。だって、勝ったと思ったんだもん。だからニヤケちゃったよ。完全に、油断したね。」

そのあと皆で、まるでにわか雨の降り出したように、再び笑いになった。

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「悔しいと思うことなんて、もう何年もない。」という自分の言葉を今思い出していて、過去に悔しかったと言えば何か?と言ったら、まずゲームセンターの対戦格闘ゲームで対戦相手に負けた時のことが思い浮かんだ。ヴァーチャファイター2の終わりごろから5が出始めたくらいまで。その間10年以上だが、そのうちの一時期、たぶん2、3年くらいはかなりゲーセンにいたはず。それこそ技量的にあまりにも下手だったので、今思い出しても、別に思い出も何もない。金と時間の無駄だった、と言っても良いかもしれない。


しかし、対戦格闘ゲームで負けたときの、あの悔しさは、まさに強烈かつ独特なものだ。おそらくそれは体験者なら誰でも心に思い当たるだろうと思う。負けた腹いせに筺体を拳で叩いて台の向こうの相手を威嚇して驚かせる、みたいな行為は日常茶飯事で、本当の喧嘩になってしまうパターンもけっこうあったのではないかと推測する。でも「対戦格闘ゲームの結果でカッとなって、それがきっかけで殺人事件に。」とか、聞いたことがないので、おそらくそういうことは起きてないのだろうけど、あっても不思議じゃないと思うが。たぶんああいう「痛みの無い格闘」というのは、痛みが無い替わりに屈辱感が倍付けになるのではないか?とさえ思うほどだ。


あとは、パチンコやカードなどギャンブルで負けたときもそうだ。これも悔しい。身体が震えて、文字通りはらわたが煮えくりかえって、両目から涙が出るような悔しさである。このまま死んでしまった方が楽ではないかとさえ思う。でも「怒り」のパワーって、死ぬ方向ではなく生きる方向へ向かってしまいそうだ。


ギャンブルというのは、賭け麻雀とか賭け将棋とか、プレイヤーの技量が多少結果に作用する種類のゲームで負けたときの感じと、サイコロとかルーレット、あるいはパチンコや競馬もそうかもしれないが、プレイヤーの力量だけでは、実質的にどうしようもない種類のゲームで負けたときの感じはかなり違うように思う。たしか坂口安吾は、前者に属する種類のギャンブルを否定していたような気がする。人間の力がおよばない何かに向けて全霊で抵抗せよ、みたいな。一か月かかって稼いだ金を一日で使いはたせ、みたいな、そういうあれである。


ギャンブルは一時期それなりにやったけど今は全くやらない。でもやればいつでもやれるだろうし、夢中になるだろうと思うが。でもサラリーマンをしながらギャンブルをするのはつまらないことじゃないかと思っている。


同じ理屈で言うことじゃないけど、スポーツ観戦も全く興味ない。野球もサッカーも相撲も、テレビでも一切みない。見ればそれなりにこれも見始めたら面白いのはわかっているが、それゆえ近づかないのである。F1は今でもたまにテレビで見るけど、あればスポーツというか、勝敗を見たいわけじゃなくて、車の挙動感というか、天候、車(タイヤ)、路面、気温などの諸要素を含んだ、なんとなくの「その日のレースの相場観」みたいなものを感じたくて見る。もしそういう「相場観」みたいな感じがテレビに映るのだとしたら、それを見るのは好きである。別に勝ち負けとかと直接的には関係ない、雲行きのような、空気のような、そういうものだ。


そういえば昔、小学生のころ、ゲームセンターに巨大な競馬ゲームがあった。トラックを模した台の周りを馬の人形が走って、前方には掲示板が出走馬の名前とかオッズとかが表示される。台の周囲に座って、賭けたいレースが始まったらコインを入れて、結果を見守るわけだが、子供のころの自分は、そのゲームをやりたいとは思わなかったが、各レースごとに表示される「波乱?」とか「順当」とかを見ているのが好きだった。たかがゲームの癖に、何が「波乱」なのかと思ったが、実はそういうノリが好きだったのだ。