格闘技を観る(4)

このような催事を見ていて、今ようやくそのルールを理解し始めたという段階で、この後間もなく、唐突にも自分の個人的な知り合いが当事者として出場するという事態の不可解さ、奇妙さは、今まで経験したことがない質のものだ。


ちなみに、少なくともここまで観てきて、出てきた選手は皆、若くて屈強な若者ばかりである。もちろん見てるだけでは実年齢はわからないけど、リングサイドからはそう見える。で、友人は同級生であるから、とっくに40歳を越えている。この事実だけでも、すべてが悪い冗談なのではないか?とうたがわしい気持ちになって当然であろう。傍から見たら、40のおっさんで、我々からしてみれば、昔からよく知った顔の、親しさをまとったあの人で、それがあろうことか、今まで出てきた選手達と同じように、この場にあらわれてルールに従って、たたかう、という想像をしてみろと言われても、思い浮かぶのは、リングでたたかっている人間二人の、片方の首から上だけが、まるで貼りつけたお面のようにその友人のへらへらした顔になっているような、バカバカしいイメージだ。


友人Yも、FもWも、その家族の皆も、一緒なのは中学までで、高校はばらばらだし、それ以降の進路もばらばらで、趣味も共通の話題も無い。そしてお互い、普段の付き合いにおいては、かなり油断し合っていて、緊張感ゼロで、相手の気持ちに配慮したり気を使ったりも、ほとんどしないと思うし、そういう自覚もない。つまりお互い、かなり手を抜いて、楽をしている。つまりそれだけ我々の関係とは、目的もなければ運用のアイデアも維持の努力もいっさい必要としていないのに、関係そのものは細く長く延々と変わり映えなく続いていく、いわば近親的で田舎的・原始的なものなんだな、とあらためて感じる。


これがもっと近代社会的な構造に則った上で築かれた交友関係(…?というか、要するに高校とか大学とかそれ以降の時間で知り合ったような関係)であれば、それが仮にこの手の状況を皆で体験するようなことであれば、また違った思いを抱えることになる気もするのだが。


…でも、それ以前に、そもそも中学からの友人の、40過ぎたおっさんが、突如として格闘技の試合に出るというのは、やはり稀なことなのだとは思う。


そして、友人Yがその本人で、それをFやWやその家族の皆さんと観戦するというのは、そんな無茶な配役を割り振った芝居は、このグループじゃなければ成立しないのかもしれないとも思うし、これはつまり「こわいふるさと」の力とも言えて、普段はほぼ意識しないが今でもまだ充分に作用する磁力によって、どんな突拍子もない事が起きようが、あたりまえのようにこれからも運命を共有して、体験を同じくするしかないのかもしれないという気もする。


すなわちもう、すでに理屈ではないのだ。引きずり込まれるような何かだ。情緒だけなのだ。まったく絶望的じゃないか。


これでもさっきから、自分の心臓が激しく動悸しているのを感じているし、手足が上手く動かないくらいの緊張がある。そうかと思うと、ふと忘れて、楽になるときがある。病院で痛い治療を待つときみたいに、苦痛はほんの少し、終わってしまえば後はもう楽だと思って、気楽な気持ちを作ってみて、でも乗り越えなければいけない壁の高さがわからないうちは不安は不安のまま何にも変化しない。


気付けばリングは片付いていて、今までと同じように、照明が落ちた。信じがたいことに、まったく平然と、時はやって来た。


現実は来た。我が同級生、Yの入場である。音楽。四十代のおっさん。嬉しそう。飛び跳ねている。痩せている。登場曲は、この歌は、甲本ヒロト…。


そう言えばあの人、今もまだ、ハイロウズ好きなんだよね、と思いだして、何か言いたくなったけど、もうこうなったらこちらも腹を括って、何も考えないことにする。ただリングを観るだけである。


今まで出場した選手たちのなかで、いちばん痩せてるんじゃないか。そう思ったとき、相手も登場した。絶対に若い。でも三十前後だろうか。おちついた感じ。温厚そうで、話せばわかりそう。よくわからない。


しかし、相手とくらべて、意外と年齢差があるようには見えない。というのは、ウォーミングアップ的に動き回っているYの様子がやけに元気で、やたらと飛び跳ねたりふらふら落ち着き無く歩きまわったり、ある種の類人猿的挙動で、顔もやけに嬉しそうだからかもしれないが、とにかく極度の緊張で見守る我々をよそに、本人だけはポジティビティに満ち溢れているというか、きわめてオポチュニスティックというか…そんな風に見える態度で、リングに立っているからかもしれない。


他人の決めたルールに、なぜ従うのか。

いや、そうじゃない。君が決めたことだ。

君が気にいったなら、この船に乗れー♪

ここで、精一杯、頑張ればいいじゃないかと。

いつか亡くした夢が、ここにだけ♪


「『強くなりたい』と思って集まってくる連中同士だから、年齢がどうとか、そんなことをいちいち言う奴はいねえよ。まあでも、たまにはいるけどね。道場もごくたまに、変なおっさんも来るから。」

「お前が、変なおっさんじゃないのか?」

一同笑う。よく笑う集団だ。笑うより他、することも無し。

「『強くなりたい』って…。幼稚なことばだな。40過ぎて『強くなりたい』とか思うだけでものすごいわ。」


このルールに触れたい、このルールの上を見事に波乗りしてやりたい、ということなのか。

そこに、何か自由らしきものを、予感しているのか。


ゴングが鳴った。ついに始まった。


あきらめたような、溜息が自分の喉もとから洩れた。どうかご無事で。自分が両足のつま先に、こむら返りを起こしそうなくらい強く力を込めていることに、やっと気付いた。