橋川の話


外は快晴だったが風が強くて寒い。妻は一日中、家の中を大掃除で、僕はサボりぬいてひたすらPCの前にいた。


準備も片付けも面倒くさいのでふだんなかなかやる気にならないけど、たまにやると、天ぷらというものは実に美味い。こんなに美味くて良いのかと驚くほどだ。でもやっぱり、片付けが面倒くさいよねと思ってたら、片付けも全部妻がやった。ほんとうにすいませんでした。

そうかもしれないな。それはそれで、わかった。しかし、そうだとしても、それにしても、こんな風に考えたり、会社で仕事したり、酒を飲んだりして、我ながらこんなことが、いつまで続くのだろうかと、思わないわけではないな。この今が、ほんとうにこれで、今として成立しているのか、甚だ自信がない。何か、足場が揺らぐような、大事なことを見て見ぬふりをしたまま、何かを忘れたままで、いい気になって、こうしてふんぞり返っているだけなのかもしれないという、そんな嫌な予感というか、この漠たる不安は何なのか。


自分がここに、こうしていられるのはなぜなのか。やっぱり結局、私の知らない場所に何か目に見えない力での支えがあって、それは一方的に虐げられた何かが、私や私を含む仕組みへの奉仕を強いられていて、私がこうしていられるのも、その仕組みのおかげなんじゃないか。それを知らずに、そんなことをこれっぽっちも考えずに、この私のもっともらしい感想や自己分析というのが、すなわち何らかの犠牲の上に、かろうじて成り立っているだけのものなんじゃないのか。今ここにいる、この私の実感、 過去から今へつながる一連の記憶、私にまつわるこれらすべてが、本当はそうじゃないのかもしれないじゃないか。単に今、ここにこうして、ぼんやりと考えているだけで、それは一歩間違えれば、まったく違った何かに変わってしまうのかもしれないじゃないか。私は結局、どこかでたまたま、安全地帯を見つけることができただけで、それに平然と乗っかって、そこから見えるたった一つの見え方を、それが私の過去で、今の私がそれらを支えていると思い込んで、いい気になってるだけなんじゃないか。そこに私がいる限り、たまたま私の下側にいる無数の人達がそれを支える形になってしまっていて、お互いがその事に気づいていないだけなんじゃないか。


私はもしかしたら、そろそろ逃げた方が良いのだろうか。私はもし今が、その時だと悟ったら、あわてて逃げ支度をするだろうか。きっと、おそらくそうだ。四十歳を過ぎて、何を一番学んだかといえば、逃げ支度の素早さ、いざというときに取りこぼししない注意力の大切さだ。それだけが、重要なのだ。だから私は私の居場所を、いつでもいさぎよく撤退する気持ちの準備が出来ている。この場に対して、ことさら何の拘りもないし、固執もしないし、感傷もない。ここは本来、ここじゃなくても、どこでもいいのだ。私は私の居場所を平然と変更できる。それこそが知恵だ。


でも、本当に重要なときに、私はその危機に気付くことができるだろうか?気付く力があるだろうか?何としてでも、私は私の身を守らなければいけないのだけれど、そのために今までの経験と知識をフル稼働させるはずだけれど、それでも私は、本当にうまくやれるのだろうか?まさか、すでにもう手遅れだなんてことはないだろうな。今すでに、致命的な情況である可能性はないのか。そこに、私が私の能力でもって気付けるのか気付けないのか。もし気付けないとしたら、その私とは一体何物なのか。私は目の前の酒や食い物とどこが違うのか。こうした緊張の中で私はこれからも今までと同じように、半休を取って美術館に行ったり、考え事をしたり、酒を飲んだり、仕事の売上げをまとめたり、思いのままに過ごすのか。


でもいつかほんとうに、責任を取らされる日が来るのだろうか。そうだとして、一体何の責任を?その判決を聞く日が来るのだろうか。絞首刑を宣告される夢を見たり、車が高い崖から地面に向けて真っ直ぐに落っこちるのを、車内から見ている夢を見たり、こうして明日以降も、このまま生きて、いつかそれが、夢ではなく実際に起こるのだろうか。仮にそうだとして、それでもその日までは私の中に、すでに確定したと私が思っている過去があって、その全く他人事のようでもある記憶の、なんという面白さだろうか。私がかつて、そのように存在していたという、なんと退屈で起伏に乏しい、それでいて濃厚で現実的な物語だろうか。そもそも公園で、女と二人で、芝生の上に寝転んで過ごすなんて、馬鹿じゃないだろうかと思うが、しかしあの頃は仕方なく、毎日のように公園にいたのだった。