天ぷら


どうして、忘れるの?その具体的な感じを。おそろしいほどの、何十年分も積み重なって、積層となった、誰かの記憶の生で貯蔵されたそれを、いま そこに、ありありと見ているのに、見ないとわからないの?


そんなことを言われても、どうしても、忘れますね。そう何もかもきっちりとは、おぼえていられません。でも、こうして見せてもらえるなら、すぐに思いだせます。


私は、私の橋を、ぎこちないしぐさで、渡ろうとします。マイブリッジの格好で、あなたも駆け足しますか?


私もします。さんざん転びそうになって、蹴躓きながら、コマ送りで走ってます。忘れたり、思い出したり、躓いたり走ったり、忙しいです。


あ、それは素敵だなと思った、とします。私はそれに、身も心も奪われた、とします。


それをかたちにしてあらわすのは、とても難しいことですが、もし奇跡的に、それが成功したとき、それは、素敵だと思ったこの私を、表現しません。それは、素敵だと思った、それだけを表現します。


そのとき私は、そのかたちを通してきっと、かつて存在していたかもしれない、半分の天ぷらになります。


ゲソ天です。それは、半分になった、紅しょうが天です。