大富豪


帰りの電車は空いていて、目的地までの丸二時間、五人で向かい合い、トランプで「大貧民」をやっていたら、異様に面白くて白熱する。ゲーム中、ほぼずっと大富豪の地位を維持し続けたのは僕で、「大貧民」は五人でやるなら勝った順に大富豪、富豪、平民、貧民、大貧民という身分となり、大富豪と大貧民は次回のゲーム開始前に最強、最弱のカードを二枚トレードするので、大富豪はより強力な手となり、大貧民はチャンスを減らすような仕組みになっているので、したがって大富豪は一旦その地位に上がってしまえば、以降長期的に君臨するのはそれほど難しくない。ただし前半のある特定のタイミングにおける情況判断を間違えないようしっかりと場を見極める必要がある。「大貧民」は結局ある流れを自分に有利なものにできるかできないかのゲームだが、8のカードやjokerによって強制的に流れをリセットすることができるので、しかるべき最も適切な時局においてそれを切り、直後に弱点となるカードをなるべく放出してしまった上で、あとはふたたび沈黙しながらフィニッシュまでの誘爆的コンボを起動させるタイミングを待つだけだ。問題がなければ、あっという間に終わってしまうし、そうでなくても二位以下と接戦になるような状況にはほぼならない。ああ、自分は強い、強すぎる。なんでこんなに強いのか、利益を守るとはこういうことなのか、、と深く感じ入る。確固たる構造下で富は増え続けるばかりだが、なるほどしかしこれはこれでそれなりにぼやっとした不安とストレスを抱え続ける、けして幸福とはいえない人生かもしれないとも思う。その後結局、到着間際の最後のゲームで僕は遂に富豪に格下げとなって終了したのだが。それにしても「大貧民」はほんとうによく出来たゲームで、「役」を作っていく形式の、ポーカーやブリッジなんかと同類の、麻雀の面白さにも近い、トランプのルールとしては最も面白いやつだと言えるだろう。僕は今はほとんどおぼえてないのだが、小学生くらいのときは「トランプ・花札の遊び方」という本を夢中になって読んだことがあり、トランプはコントラクトブリッジもセブンブリッジもポーカーもページワンブラックジャックもルールを覚えてしまって、でもまわりに誰もやる人がいなかったので、実戦経験はまったくないという状態であった。中学生になった頃から、ポーカーとかブラックジャックはやった。トランプは、子供の頃から僕は、大の大人が、ああいうことを真剣にやってる感じが、とても好きだった。麻雀は、ぜんぜんいいと思わなかったのだが。両親がたまに近所の友人を家に呼んで遅くまでじゃらじゃらやっていたけれども、あれはなぜか、惹かれる要素を見出せなかった。やはりトランプが良かった。ああいうものに、とりあえず全部をあずけてしまうという感覚に、なぜか子供の頃から惹かれたのだ。あずける対象として、あの数字とマークのあの絵柄のヤツだったら、すごく良かった。薄いプラスティック製の、けっこうしっかりした材質のカードを持っていて、今でも裏面のデザインをおぼえているくらいだ。でも僕はその後、ギャンブル的な能力(自分が、ギャンブル的な何か、ギャンブルの神様?ギャンブルという名の元に皆が信じている何か?から、認められて、それなりに愛されているという自覚)を、まったく欠いていることを知ったので、結果的に僕はギャンブルで身を滅ぼすことはなかったのだった。