竹橋


竹橋の国立近代美術館で「endless 山田正亮の絵画」を観る。予想を越えた凄さ。物量といい質といい、もはや圧倒的である。昼過ぎに行って、会場を出たのは夕方で、さすがにへとへとになったが、もっと徹底的にへとへとになりたいというか、どこまでも観なければいけないという気にさせられた。会場はがらがらで、ほかの展覧会なら人がいっぱい来るのに、なぜここだとこれほど空いてるのか、素朴に不思議だ。こんなに面白いのに。でもやっぱり、こうして何度も何度も同じテーマをひたすら反復するような、テーマとテーマとして純粋抽出してそれに対して取り組む、そのやり方自体の浮き上がり方みたいな、モダニズム特有のにおいというか、その出方みたいな、いわゆる抽象画のわからなさみたいなものは、今や誰も感じてないのかもしれないけれども、そういう反復性のうっとおしさ、みたいなのは、あるのかもしれない。しかしあの単調さの裏側というか、あの微小な出来事の向こう側、非人間的な連帯感というか、非人間的な自由の予感みたいなものな気がするのだけれども。あの矩形、あの四角い檻の中で、還元して還元して、その向こう、いや、目の前に、突き動かされ揺らぐもの、崩れ落ちそうでかろうじて立ち上がってる何かがあるように思うのだけれども。…こんな言葉は無意味で、ただひたすら面白い、ただひたすら出来事ばかりだ。