「坂の上の雲」と日本人 関川 夏央 より引用


「坂の上の雲」と日本人

これはのち、日露開戦も迫った一九〇三年夏のことになりますが、秋山真之は軍艦の旗旒信号を改良します。それまでの旗旒による「説話信号」では、「直チニ列ヲ解キ適宜避難セヨ(ス)」を、「直チニ」「列」「ヲ」「解キ」「適宜」「避難」「セヨ(ス)」と分けて上げていました。助詞と動詞がうるさい。あげるにも解読するにも時間がかかりすぎるので、助詞ははぶき、動詞は「避難」など一語にして「セヨ」「ス」を略すことにしたのです。この説話信号を数字二文字または数字とアルファベットの二旗だけで示し、解読するというのが秋山の改良案です。これによると先の例文は○と三の二旗だけで表示されます。さらに「○○」(荒天準備)、「〇二」(捨錨出航セヨ)、「〇八」(機関故障)、「〇J」(舵機故障)、「OY」(坐礁)、「一J」(火災)、〇」(合戦準備)などとなるわけです。また「皇国ノ興廃此ノ一戦ニアリ各員一層奮励努力セ ヨ」という長い有名な「説話」が、「Z」の一旗に集約されることになったのもこのときです。旗艦が一旗を高く掲げれば、艦隊全艦はそれを格調高い日本文に解きほぐすわけです。「Z」はアルファベットの最終文字ですから、この先はない「決戦」としたのです。