「Gold」Smokey Robinson & The Miracles


GOLD


ここ最近の、真夏とくらべて体感気温はかなり下がったものの、少し歩くと軽く汗ばむような日差しの下でビールを飲む。かさついた口内と喉が一挙に潤い、芳醇な滋味が体内に広がって行き、しばらくして軽い酩酊が立ち上ってくるときの後ろめたさを伴った快感…。


そんな、前後の脈絡とか、意味とか、後始末とか、そういうものと一切無縁に、ただ味わいたいという、果ても無く、享楽したいという、どれだけ非難されようが、けじめなくその場に居座り、最後の一滴まで味わい尽くしたいという、そういう類の音楽が、Smokey Robinson & The Miraclesである。僕はCD2枚組のベスト盤を持っていて、これがiPodで掛かると、ほとんど立っているのがやっとである位の快感で、へなへなになってしまう。


もう、「痛み」に近いような旨さを感じさせる料理とか、見とれるほかないような美人の女性とか、ことばを失うような強度で現前している絵画とか、Smokey Robinson & The Miraclesの音楽というのは、そういうモノの仲間であろうと思われる。これは、世界を覆う意味の連鎖から平然と外れ、単独で屹立している奇妙な何かのようである。すべてのしがらみや批評やなんかとも無縁で、誰かの思惑や手段として絡めとられる不安からも自由でありながら、とても自然で非常にありきたりの表情で、なんでもない事のように、僕の前に現われるのだ。


Smokey Robinson & The Miraclesに関して、僕は、あまりよく知らない。…っていうか、今のご時世、通り一遍の事は簡単に調べられるんで、そういう事はどうにでも調べられるが、これだけ美しいのだから、通り一遍のそういう周辺情報が、その素晴らしさの理由の一端の説明にでもなるのか?と言ったら、そんなの全然、なんの説明にもならないのだ。。だから、「こういう情勢下で、こういう音楽をつくった」とか、「○○の創始者だ」とか、そういう風に考える事が、実に意味が無く感じられるのが、Smokey Robinson & The Miraclesのサウンドである。もうこのサウンドが、Smokey Robinson & The Miraclesという固有名を持っている必然性自体が、ほとんど感じられないし、そんな事すらどうでもいい。という場所に連れて行かれるのが、Smokey Robinson & The Miraclesの音楽です!