家に居ます(深夜のひととき)


僕が今やってるこの行為は、今後の自分の為であったりとか、何かの為であったりとか、自分にとって有益な情報になりそうだとか、精神的に余裕がないと、とかくそういう考えの狭さに陥りがちだが、これは宜しくない。


行為と結果を直結しがちな感覚が、もっとも宜しくないわけだが、ちょっと気を許すと、そうなりがちで、まったく良くないことである。そう成果やら効率やらを気にしなさんな。と自分に言い聞かせる。もっと図々しくて一向に構わないと思いつつ、図々しい自分が後ほど会計清算している姿を想像して、びくびくしたりして、そんな考えで過ごす数日というのは、実につまらないと思う。そういう事を一挙に気付かせてくれるのが、何かタグイマレな、素敵な映画だったり、書物だったりするのだが、そういうタグイマレな何かというのは、自分だの周囲だのが本当にちっぽけな、取るに足りないモノでしかなく、只これを体験し続けたいだけですと感じるしかないようなもので、そいつにうっとりとしてるとき、ほとんど体ごと溶解しそうな快楽に浸りながら、これからもなるたけ沢山、そういうのを貪り続けるのが、最高に幸福な人生であるのは自明なのだが、それを続けるのは実に大変な事であろう。それを続けるのに必要なのは、お金とか時間なんかよりも、もっとも重要なのは、自分自身のしなやかさのようなもので、それは自分というシステムを、どうにか上手い事駆動させ、サーキットを適切に周回させるドライビングテクニックのような技なのであり、僕はちょっと気を許すと、こういう技術を本当にあっという間に失ってしまうので、このあたり、なんとか頑張っていきたいものだ。僕、実は中学のときちょっと卓球部でしたが、卓球の技術と勘は、練習を3日休むと、取り戻すのに一週間(一ヶ月だっけ?)掛かると云う…。幸福な人生にウハウハ云って楽しむのも、実は技術と勘なのかもしれぬ。


…たとえば、(逆に)お酒を控えるとか!?