素晴らしい紅葉


…といっても、秋の有名紅葉スポットとかに行った訳ではなく、単に近所の公園を通り抜けたとき、たまたま見たら桜並木の葉っぱの色づきがすごく綺麗であっただけなのだが。でも紅葉である。僕は、紅葉している樹木の中で、桜が一番好きである。と、今日はじめて思った。それまでそういう事を考えた事が無いので別にそんな事一大事のようにここで書く必要も無いのだが、とにかくそう思った。まあ銀杏やもみじだってそりゃ綺麗なのだろうが、でも銀杏のあの光るような黄色は確かに綺麗なのだが、なんだか華やか過ぎるというか、いくらなんでも黄色過ぎる感じがある。桜の葉は、葉の形も良いのだが、一枚の葉が部分的に緑色も残しているような、全体にやや彩度の低まった鈍い慎ましい赤褐色だ。ただし一見地味ではあるのだが、この色のかたまり、というか広がりが、周囲の冷え込んだ殺風景なモノトーン的背景を従えて展開していると、それが俄然信じられないほどの強さで視界に飛び込んでくる感じなのである。その強烈さといったら、現実の視界であるにも関わらず中空に不透明水彩絵の具の赤や黄色やオレンジの、ややくすんだ粘りのある飛沫が奥行きを殺すように飛び散っているような様相を呈しており、ちょっと信じられないようなイメージになっているのだ。そう。ほんとうに「絵の具」を見てるっぽいのだ。


よく路上で売られてるような、パリの大通りなんかを描いた安っぽい売り絵の風景画なんかにある木々の表現というので、細い筆をすばやく走らせて黒く細い樹木を現し、ソレ風な色彩で勢い良く飛沫を飛び散らせながら、紅葉した葉をしたためるようなやり方が思い浮かぶけれど、ときに現実が、本当にそういうこれ見よがしなほど嫌みったらしいほど絵的に決まってくれてるときがある。しかしまあ、そういう「安っぽい」イメージは僕の中にあるだけのもので、そのイメージを齎す現実の1要素・1要素に罪は無く、ほんとうは現実の色彩とかたちのフレッシュさに満ちた景色が只ひたすら美しいだけだ。


絵を描くなんていう場合は、この美しさだけを純粋抽出できれば最高なのは判るが、しかし、パリの大通りの風景画になってしまう事も、人間のこころとしては、割とあっさりそうなってしまうハナシとしてあり、どちらも出発点が一緒である事は、改めて思うが恐ろしい事である。


その綺麗な桜の紅葉については、写真を撮れば良かったのだが、撮るのを忘れた。というか、「あ。写真撮ればいい」と気付いたときは数百メートル歩いてしまっていたので、引き返すのが面倒くさかった。というか、写真を撮ると、どう写るのか?と言ったら、なかなか視たままの印象どおりには写らないだろう。などと予測すると同時に、いや意外と視たままの印象をかなり再現してくれるように写るのでは?とも思われる。どっちにしても、まあ、結局、撮らなかったから判らないが。