Do Loop Vol.2


Bluesのスリーコード進行とか、C→F→Gとかの流れが人に感じさせるものは「起承転結」と大体、同じようなものである。始まって、基本があって、変種があって、結果また基本に戻って…。みたいな。そのような最小単位の物語性を含有しながら、かつ、ループ感も強く感じさせるという…。スリーコード進行の演奏というのは、そのような、同一の物語が微妙に形を変えつつ、果てしなくどこまでも続いてしまうような演奏である。


そもそも曲がアイドリングをはじめ、ゆっくりと滑り出し、徐々に速度を上げていくときの感覚も、始まって、基本があって、変種があって、結果また基本に戻って…。みたいな立ち上がりかたをする。…最初はバスドラムの規則的連打で、ハイハットの硬質な刻みが重なっていって、最後タムとスネアで厚みを増したリズムが完成していくという、そういう始まり方で「始まった事」が告げられ、今、リズムの只中にいて通常滑空モードに入ったビートの持続的な気持ちよさという物が中心にあるが、そこの変種として若干強度を落としたり音のバランス的に偏ったようなバリエーションが横槍的に挿入されていく事もあるだろうけど、でも最後は、ずいぶん勿体つけたりなんかするものの、かなり劇的な演出で、結局の基本パターンに戻って、それでMAXレベルでエンディングまで…。っていうのが、普通に気持ちいいパターンとしてある。


…更に上記の例えから駒が出る感じだが、クルマが地面を走るときもそうで、エンジンをかけて走り出した。タイヤと路面との摩擦がクルマを押し進める。クルマが旋回を開始する。タイヤと路面との摩擦にもう一方からの力が加わる。クルマが旋回終了する。また元通りの力配分が戻り、制御に拠って失われた当初のエネルギーを取り戻す試みが急いで行われ、回復すると引き続きタイヤと路面との摩擦がクルマを押し進める。といった運動の軌跡の反復が、強い魅力、というか、クルマが人を夢中にさせる力の根本にあると思われる。(限られた直線を走って着順を競うドラッグレースは「旋回する」替わりに「停止する」事の厄介さを代替要素として持っているのかも)


そういえばこの前近くの公園の、前方に広がっているだだっ広い空間に僕がいて、芝生の緑と土色の斑になっていて、所々西日が木陰を射抜いて差し込んでいる景色の中、落ち葉が積み重なってふわふわとした感触の地面を歩いたとき、とても気持ちが良かった。あのときは、すぐ何か、音楽が始まるとか、絵が描かれるとか、車が走り出すとか、そういう期待感が裏でスタンバイしているような、不思議な喜ばしさがあるものである。グルーブし出す事の待ちきれなさ。とでもいった感じですかね!