蕩尽と私(テスト)


…たとえば金とか資源とか人の命とかそういう諸々を国家がその存亡を賭けある重大な局面でここぞという瞬間に湯水の如く紙切れの如く注ぎ込み蕩尽する所業を戦争と呼ぶのだとすれば、人間ひとりひとりも、ここぞという瞬間に自分の持ち駒すべてをフル稼働させ、金・時間・体力その他リソースすべて、勝負時のある局面で湯水の如く紙切れの如く注ぎ込み突撃を繰り返し屍の山を築くまで蕩尽する事もある。人それを何と呼ぶ?それはひとりの戦争。人間一人の総力戦であり蕩尽の未帰還突入である。


健康で文化的な最低限度の生活と呼ばれることもある何らかの幻想を見続ける為の所業に引き裂かれながら、それでも着々と戦争準備は完遂に向け進む。睡眠確保の必要と作業継続を優先させる必要を計りにかけ、あと何が必要なのかを朦朧とした意識下で算出し、今まで積み重ねてこれまでの担保にして来たモノ達をもう一度目の前に晒し、振り返り、それらを丸ごと信頼し、なおも自らの奥底に信仰心が常駐している事を確かめる。


このまま跡形も無く使い果たされ、消えてなくなってしまうであろうそれら一切とは何か??と言ったら、汚れ、疲労し、眠り、起きて貪り、再び活動を開始する肉体の営みであり、鎧戸を開かれ明るみに引きずり出され撒き散らされ、泥水に濡れたり炎が移ってめらめらしたり踏み躙られたりするカネであり、ただ頭上を過ぎ行く太陽と月の行き来であるとか過ぎ行き繰り返される季節の往来であるとか、それらを感受する切なく甘美な私だけの思い出であり、このまま年老いて人生の終焉を迎える事をぼんやり承認したときの捺印の跡である。


そして、瞬時に惜しみなく使い果たされた後の虚空が示すのは、それまで微かな期待と安心を含有しつつ営まれてきた筈の貯蓄計画とかやりくりプランとか老後の安心とか、そんな人生設計への復讐だとか唾棄だとか嘲笑だとかではなく、満足とか落胆とか希望とか後悔だとかでもなく、現実に残るのは爽やかなほど白けた、全くの空っぽだけなのかもしれないのだけれど。


それでも全ての伽藍が崩れ落ち身も心も根絶やしとなる悪夢に魘され忍び寄る暗い不安に落ち込まないよう、やれる事はすべてやり八方手を尽くす。二の腕に注射針をぶら下げたまま大きく見開いた目で首を左右にぶんぶん振りつつ未だ未完了の箇所を探す。出撃前夜、手の内はすべてオープンにする。酒保は開放され無礼講となり、過去の蓄積もその他の屑も塵芥に至るまで再召集され、正直もう自分の中で価値付けの対象ですらない欠片だったり何かだったり、そういうのもとりあえず全て動員され、そういう奴等すべて、あらゆるものに等しく「最期の死に場所」を与えてやる。


人間一人の戦争はセコイものだが同時に楽しいものだ。僕は国家や人民間で勃発するあらゆる戦争に反対すると同時に、どこかの誰かに拠って果敢に挑まれ現在なおも交戦中である筈の世界を相手取ったたった一人の戦争行為に限りなく共感しエールを贈りつつ、願わくば自らの所業もそのようであればと思う。…って、しかしなんでこんな文章になったのか?