「Sunflower / Surf's Up」The Beach Boys

Sunflower / Surf's Up

iPodに何も考えず只、どかどかライブラリからぶち込んで、それをシャッフルにして再生して、朝夕を問わずイヤホンできるときにイヤホンして、それで再生したりスキップしたり…そんなこんなをこの一ヶ月くらい聴き続けていて、ああつまんねえなあ、もう音楽とかうんざりだなあ、もう何も聴きたくねえなあ、どいつもこいつも下らねえなあ、とか思ったり思わなかったりしているのが、大体日常的な、通常の状態なのだ。まったく音楽は何のために鳴り響きゃいいの?とはこっちのセリフである。


まあでも、これはまあ、やっぱ根性入ってるなあ、と思えるものが聴こえてくると、それなりに心も一瞬、さっと晴れる訳だが、たとえばThe Beach Boysの楽曲とかが突如として降り注ぐ場合、これは結構驚かされるのである。楽曲ひとつの持つ力をリアルに感じさせられる。…さっきもAll I Wanna Doが、雨上がりの夕暮れにおいて突然再生されてしまい、非常に狼狽してしまったのであった。


確かにThe Beach Boysの楽曲はとても甘い。甘美でとろける様なメロディとハーモニイを持つ。しかしThe Beach Boysの楽曲が突如として鳴るとき、それはたしかに甘美な印象ではあるのだが、甘さそれ自体がそのまま物質感を伴っているような異様さがある。それは、摩擦による擦過傷の跡が、そのまま美的である状態のようなものかもしれないし、請われて指定された仕様の通り、やるべき事を何の疑いも持たず、システマティックにきっちりと実施した結果が、そのまま美的である状態のようなものかもしれない。


いずれにせよそれは、覚醒させられるような苛烈な甘さだ。例えば酒を飲んでほろ酔いで歩いているのに、それを聴く事で思わず素面に戻されてしまうような甘美さだ。勿論そこに汲み取るべき意味などなく、只、受け取るだけの事だ。