家に居ます(台風前夜)


台風は来るのか?不穏さが、今のところあまり無い。一応近くのスーパーでやけに沢山、買い溜めして来た。2〜3日冷蔵庫の中の物で楽しくやれる。ワイン一本買ったつもりだったのに間違えてスパークリングワインだった。夕食時に空けたらコルクが勢いよく照明にカーン!と当たり、ものすごい勢いでブワー!っとなって食卓が泡だらけになって無意味に祝祭な感じになった。


…そういえば、もう個展から一ヶ月くらい経つではないか。。なんという事だろう。最近のおれスランプだよースランプだよーと云い続けて、スランプって言葉使いたいだけでしょとか妻に云い返されたりしてる内に一ヶ月経ってしまったような感じだ。だめだこんなんじゃあ死んだほうがマシだバカだバカだ。


などと云いつつ本棚の画集を引っ張り出して取っかえ引っかえ見比べて、クロッキーブックにぐちゃぐちゃ描いて、がーっと全部消して、また描いて、色々考える。ロートレックの画集で、適当に開いた頁に出てた素描に、ものすごい抽象度の高いやつがあって、うわあこれはすごいなあ、こんなの観た事ねえなあ。今まで何で気付かなかったのかなあと思って、脚が上向いてて逆立ちした人物かな?とか思いつつ5秒くらいしたら本自体が逆さまな事に気付いた。


今日は頑張って手を動かす。まあ実際、今後も制作するというとき、今までと同じように画面の前で長いこと時間を掛けてやるしかないというのが最低限の取っ掛かりとして、自分の中にある。描く時間を堆積させて、少しずつ生まれてくるものを絶対に捨てないという事。その上で、まあ細かく、今までと何かの要素が変わっていくとか、この部分は変わっていかないとか、まだこんな事続けてて良いのか?という強い不安に打ち勝つだとか、そういうのが、これからの制作の実態なんだと思う。


そういう風なやり方で絵を描く、という行為を飽く事無く繰り返し続ける事で浮かび上がってくるその時特有の喜び、というのが有る。これはなかなか、言葉では表し得ない。その瞬間にメモとかしてて、後でそれを元に書き起こすとかも無理。単にアドレナリンがドワーッと出ててラリッってるような状態なのかもしれないが、まあでもその感じをもしも制作中に失ってしまったら、僕なんかはもう、絵など描けないと思ってしまう。もちろんこういう風なやり方のほうが良いとか、これだとダサいとか、いくらなんでもこれじゃあんまりだとか、そういう価値判断はこれからもいくらでもするだろうし、イキがったりビビったりしつつ、足りない頭を使って考えもするのだろうが、僕という描く機能は、ある一定の条件で、あらかじめの仕様、と思われる手順で稼動させない限り、絶対に正常には動かない機械なのだ。だから僕は、錆付いたシリンダーとかにひたすらオイル塗って充分に稼動させるだけだ。その事自体の意味とか是非とか正しさとかお役立ち度とかを決めてくれるのは、僕ではない。そんなの知らないよ。無人の空間があるだけだよ。美術なんてまあ、所詮そんなもんだ。「…まあ、でもやりますけどね!(perfumeのあーちゃん風に)」


っていうか、どうせなら、世界すべてを敵に回すような、もうどいつもこいつも、彼方も此方も誰の事も置き去りにするような、死んでバラけてしまうくらい、どこまでもぶっ飛ばせるような、そういう事をしたいよね。そういうノリでいきたいよね。そんなアオい事云ってる36歳がこの世に居るんだって事だ。ウケるね。まあ言葉はいつも容易いからね。


まあこれからはとにかく、自分に今までとは別の型枠を喰わせて、中でがりがりと演算処理させるのを、いくつも試さないといけない。だからちょっとかったるい時期が続くのだけれど、どうせぼやっとしてるとすぐ月日が経っちゃうんで、少し急ぎで、頑張ってやっていきたい。


さっき偶然宇多田ヒカルの「ぼくはくま」という曲の事を知って、iTunesで一曲買って聴いたら、ものすごく切ない曲で、結構キタ。。


この文章を上げたら、このあとビールを飲みながら何度目かの成瀬の「浮雲」DVD鑑賞します。どうせまた激しく驚嘆したり泣いたりして、その後寝ます。