戦後民主主義太夫


1971年生まれ。団塊ジュニアの真ん中でございます。


だから勉強も運動も、そしてもちろん図画工作も、所謂、戦後民主主義教育真っ盛りな環境下で学んだのでございます。基本的人権を尊重し、平和を愛し、高く・豊かに・たくましく生きる事を基本理念として、笑いと歓声の絶えない明るい学び舎で過ごした…幸せな子供時代でございました。


担任の先生は地味な印象だけれども笑い顔に不思議な魅力を醸し出す若い女性でした。少しだけ服装がだらしなくて、ブラウスの襟元やボタンの周囲がいつも微かに汚れていた事を憶えております。少し何か気に入らない事があると、ぐしゃっとした泣き顔をまともに向けてヒステリーを発症し、ものすごくカン高い声で叫び、疲れ果てて気が済むまでクラス全員に当り散らしたり、任意に選んだ特定の生徒ひとりを精神的に痛めつけ茫然自失させるまで面罵する悪い癖がタマにキズで、それでもPTAでの評判も上々だったそうですし、何が原因なのか、途中でご家族ともども突然引っ越すクラスメイトも幾人か居ましたけれど、まあそれでも概ね問題のない学級だったと存じます。


学級生活は良好だったのですけれども、それでも「○○ちゃんは走るのが速い、××ちゃんは皆と仲良くできる。□□さんは算数が得意。△△くんは絵が上手い。」といったそれぞれの良い部分がちゃんと発見されて、それが伸び伸びと育んで行かれるような、まずはそんな観点から認知され承認に至る事が生きる上で課せられている必要最低限の「義務」である事は子供心にもひしひしと感じられたものですから、…なので、私もそういう場における生存競争には奮闘しました。ええ、やりましたよ大いにやりましたとも!きっと、それは今の時代に小学生をやってらっしゃるお子さんでも、そういうのは昔とさほど変わっていないんじゃないかと思いますけど、どうなんでしょうね。


私は元々「絵が上手い」子供でした。かつ、幼いながら自分でもその事をちゃんと自覚していたのですけど、…でも、実際のところはそれほど突出して上手な訳でもなかったですけれども。子供にしてはちょっと上手いかな?っていう程度。で、私なんかよりも、もっと全然上手なお子さんは、同じ学級に何人か確実に居ました。私はその事にも密かにしっかりと気付いていました(「賞取りレースの星取り数」では負けてないけど、実際に絵を見ればその実力差がまざまざと判るという、そういう事です)。でもそういう実質的な力量とは別に、学級内で「絵が上手い」と認知されるために必要な事というのがあって、それは詰まる所、本人がそのように振舞えば良いのであって、それは政治手腕の問題なんです。私は自分を、小学生のときがもっとも優れた政治家だったと思います。政治活動のモチベーションがとても高かったという事ですね。まあたしかに、嫌な子供だと存じます。


中学〜高校時代も大体、同じような感じで過ごしました。それどころか高1の夏休み前にはもう美術系大学への進学を希望しておりましたし、その夏の美術予備校の夏期講習にも参加していたという行動の早さで…まあ、早いうちから進路を決める事自体は良い事かもわかりませんけど、昔の私に限って言えば、何というか若者らしくないというか、可愛気がないというか、逡巡とか停滞とか青春のひとコマとか、そういう要素の全く無い、全然そういうのを必要ともしてないような感じで、まあ早いところ「象徴的に安定できて見た目の良い立位置」みたいなものが欲しかったのだと思います。美術世界のキャリア官僚(笑)でも目指してるの?っていうくらいの勢いで、とにかく一刻でも早く「まごうことなき美術人」にでもなりたかったのでしょう。それが夢というか、将来の目標だったのでしょうね。おそらく当時の私は素朴に「立身出世」を信じていて、キャリアアップのために努力するし無駄の無い効率的なステップアップを望むような、そういうのを普通に受け入れてる子供だったかもしれません。


私の父は画家なんです。団体展に毎年出品して活動するようなスタイルの画家です。そんな父を持ったこともあり、私はかなり昔から、そういう「美術的な」ものと、割合近い環境にいました。家族4人が暮らす住まいは今思えば狭くて慎ましいものでしたけれど、玄関の下駄箱の上には巨大な石膏のマルス像やブルータス像が埃を被っていて、西日が直接差し込む一部屋は父のアトリエであって、毎日、強烈な油絵の匂いとハイライトの煙が充満していました。絵の具に激しく汚れた柱やカーペットや、まるで死刑台のようにそそり立つ室内用イーゼルがあり、夥しい量の積み重なっているキャンバスがあり、埃と混ざって一塊の金属に見える大量のキャンバスタックがあり、モチーフとなる貝殻や魚の骨などの奇妙な小物が散らばっていて、片側には天井近くまで画集や文庫本の詰まった本棚があって、そういうのを私は小学校にあがる前から見ていたんです。…おそらく経済状況としては、あまりゆとりの無い家庭だった筈です。でも子供のとき「ウチは貧乏な家だ」とは一度も思ったことがなかったので、そう思わせなかった両親はなかなか大したものかもしれません。というか、私が単にバカな子だった可能性も高いですけど。決して幸福な雰囲気の家ではなかったし、夫婦喧嘩や暴力を観戦しながらご飯を食べたりもしてたし…まあ今も両親は長いこと別居状態ながらお蔭様でどちらも健在なんですけれど、でもまあ、いろんな意味で深刻さが少なくて、何となくのん気なところもあったし、今も変わらないといえば変わらないので、そういう適当さが良かったのかもしれません。(でも父の事は今後、機会を見て別途色々書きたいと思っているんです。…もう、いくらでも書く事はありますから。)


…話が逸れましたけれどそんな美術をやってる父の事や家庭環境の事やなんかが「私は絵を描くのが人より上手!」という意識を簡単に醸成させたのだろうし、父の知り合いの方々との関わりとか、学校で美術を教わった先生もやはり同じような団体展系作家だったとか、そういう幾つかの要因で「私も美術に生きる!」と迷いなく思ったのだし、かつ私にとって「美術」活動とは「団体展に出品して評価される事!」というのも、疑い様の無い事実としてあったんです。そこに出品して、評価を得るべく頑張るのが「美術」という行為なのだと疑わなかった。…それは歴史上のマイスターたちの作品と、団体展系作家の作品たちとの「違い」をどう思っているのか?という事とか、進歩主義史観とか歴史と自分との関係であるとか、そういう事に対して当時どう考え決着付けたのか?とも思うのですけれど、でもまあ愚かな私にはそんな事はあんまりシリアスには考えられない訳で、団体展にも種別としていろいろあるみたいだし、具象やら抽象やら立体やら、いずれにせよ大抵の表現様式に対して、それなりにちゃんと「受け皿」たる各団体があるのだから、諸外国はともかく日本はそういう風に整然とシステム化されたとか、詰まるところそういう事なんだろうとか何とか思っていたんです。(ほんとかよ?って感じですよね。お笑いください)


でもそんな中で「最も"アクティヴで"イキの良い"会を選んで所属して、そこでぶいぶい云わせるのが、最高なのだろうなあ」とか「初出品後、数年はじっと我慢して自己スタイルを確立して、しばらくしたらちゃんと"新人室"とか"新鋭室"とかに飾られるくらいには評価されるようになりたいなあ」とか「5年に一度くらいは賞を取るか少なくとも賞候補になるくらいじゃないと厳しいんだろうなあ」とか、高校生の時点で既にそういう事を考えているという…ほとんど妖怪というかまさに官僚予備軍って感じですけれど、まあ、そんな感じで…ほんとうにお恥ずかしい話で、我ながら困ったもんだと思うのですけど、…でももう、今日は私も覚悟を決めて、洗いざらいお話する覚悟なんです。もう仕方がない。有りのままをお話して、全部知っていただきたいのです。私が元々そういう場所からやって来た、そういう人間なんだって事を…。


…でも(笑)…そうですよね。この長い話それ自体というのも、所詮は「曳かれ者の小唄」と云うのか…ちょっと意味が違うかしら…まあ、要するに人生失敗した奴の愚痴だろ?と云われたら、まあ反駁の余地がないというか、確かにそうかもしれませんわね。というか、私が大学に入って、さあこれから大いに、私の芸術を羽ばたかせる事ができる!という段階になったというのに、その後すぐに、もう一切合財、何も出来なくなってしまったので、その時点で、はい!君は失格終了!リタイア!という烙印が押されたのだと思います。私は、そこで終わった。それだけの事なんです。だからそう。確かに愚痴よね。長い長い愚痴に存じます。…でも思い出すのが、大学に入って「インスタレーション」という展示様式を生まれてはじめて知って、それを自分の問題として感じたときのショック。…それは様式とか方法とか手段としてどうとか、そういう事以前に、どちらかというと、それまで信じられてきた枠が壊れて、何もかも信じられなくなってしまった事のショックだったのだと、今、思い出されます。…まあ大学に入ってはじめてそういう問題に直面しているのが、それまで何ともお気楽な坊やだったというのか、まあ端的に云って、私は只の無知な田舎者だったのでございます。


それと…まあ勢いに任せてあえて口にするのも下衆な事とは存じますけれども、やはり日本で美術をやるというときの、"派閥"的な何かであるとか"住み分け"的な何かであるとかの事も、場合に拠ってはお互いがお互いを無視して、お互いの姿を見えない事にしないと根本が成立しないとか、不自然さを見て見ぬ振りするのが大人というモノだとか、そういう諸々も、そこではじめて、一挙に知ったのでございます。


…ごめんなさいね。退屈ですわね。もうよしましょうこんな話!…でも、こうして長々と話してみると、そんな気はないのにやっぱり、どこかでカッコ付けたような、取り繕ったような話に、なってしまうものなのよね。そこは、そうじゃない。いやそこも、そうじゃなかったって、そんな事ばかりでこのままじゃ延々、云い直しの繰り返しになりそう。。駄目駄目。忘れてくださいな。今日の話はみんな忘れて頂戴。後生だから。


…あら、もうこんな時間に!いやだわ…ツマラナイ話のために引き止めてしまって、本当に御免なさい。それにしても、今夜も蒸しますね。寝苦しい夜が、まだ続きそう。…ところで、ひとつ現実に戻って、もし貴方さえ良ければ、ここで私からひとつ無用な質問を提出する事にしたいの。そんな私を、許してくれるかしら?


〜安い幸福と、高い苦悩、どちらがいいか?というわけ。さあ、貴方ならどちらを選ぶ?〜…なんちて!