戦争の感触


先月、地元のケーブルテレビに加入したので色んなチャンネルが観れるようになった。でもまあ時間もないしあんまり観てないのだが、今の時期は第二次世界大戦に関する特集がCS系チャンネルとかで大量に放映しているので、いくつかピックアップして録画したりして、数日前から頑張ってかなりの時間観た。


しかし戦争について何か観たり読んだりしても、そういうものを起点にして何か言葉を書くのはものすごく難しい。非常に不謹慎な言い方をあえてすれば、戦争について、多少なりとも「面白い」と自分で思えるような内容の文章を書くのはとてつもなく難しい。なぜかというと、それがあまりにも痛々しく悲惨で呆然とするしかないような、客観視というのが到底不可能であるような、理屈で語るにはあまりにも辛い事ゆえどのようにも書き難いから、という事でもあるし、また、そうではなくてむしろ、戦争ほど散々語りつくされてきたものもなくてその紋切り型には、もううんざりで、今更どう書いても、大抵はかなり面白くない嫌気の差すようなモノになる他ないから、という事でもある。もう、何を言っても絶対に無理でむしろ云わなきゃ良かったと思うような言葉ばかりがものすごい…というか書く力が無さ過ぎ。で、いずれにせよドツボにハマるのだ。


他の様々な、戦争について書いてある書物やことば等を読むと、下らないなあと思ったり、なかなか面白いなあと思ったり、すごく鋭い視点だなあ、と思ったりする。まあそれは戦争の話以外でも何でもそうだが、世間の人様はやる事為す事、皆上手である。


しかしその中でもとりあえず大別すると、まず「偉人伝/悪人伝」としての戦争話というのがある。あるいは「組織論」や「経営学」に近いような戦争話というのもある。


これらはいずれも面白いものである。こういう類稀な人間がいるのだ、という「偉人伝/悪人伝」物語としての戦争話。…はじめに混沌や無秩序が渦巻いているような未知の領域があるとして、すぐれた政治家とか軍人とかいうのがずば抜けた能力で、そこに何がしかのある足掛かりを発見して、それを起点にして、それに対して力を加えたり引っ込めたりといった技術を駆使しながら、ゆくゆくはあたり一面、共同の幻想を構築していく、という事の奇跡は時代を超えて人を魅了する。それはある意味、多分ほとんど文芸的でもあり、芸術的でもあるような運動の軌跡だろうと思う。


あるいは、人間が組織だって何かするときの、最も真剣で大掛かりで過激なサンプルが戦争であって、選択肢としてこれしかなかったとか、ああすれば良かったとか、俺ならもっと上手くやれたとか、これじゃあまた失敗するとかそういう事を考えるのは誤解を恐れず云えばこの世の中でもっとも楽しい事である。多分戦争から生還して来た人の思い出話ほど爆発的に盛り上がるものはない。それは現在世界で沸騰するサッカーの熱狂を遥かに凌駕するだろうし、そういうところで圧縮されたイメージとパワーのモチベーションは、これから世の中に打って出る未来の人の力瘤にもなり得るだろう。


しかし、戦争から「偉人伝/悪人伝」でもなく「組織論」や「経営学」や「人心掌握術」でもなく、もっと別の何かを抽出する事はできるか?たとえば、所々たどたどしくもあり、不明瞭でもあり、聞き手の意図につい迎合する弱さなども含むような、生還した元兵隊の体験談を延々聞くことで、そこから何かを感じる事はできるか?彼ら個々人の、虚空に消え入りそうな微かな感情の揺らぎを取り逃さずに、強い意志をもって維持保管できるか?…実際、こういう言葉は案外と簡単に「泣ける」のであって、いとも容易く消費され消化されてしまう。そうではなくて、簡単に泣いてしまうのではなくて、もっと別の何かにまで辿り付けるだろうか。


僕の中で、戦争というものに近づきたい、戦争の感触を近くで感じたい、というのを欲望として満足させる、という事。それは誤解を恐れず云えば、女性の体の感触を近くで感じたい、という事とほぼ一緒の欲望であろうと思われる。べつに裏側に隠された意味とか何とかそういうのではない(そういう事には興味なし)単に、直接的な感触に近づきたい。だからここ数年くらいの僕は、戦争のテレビがやってると、つい観てしまう。そういうのばかり観る事で、何か感じられるまで行けるか?はたまた、飽きてうんざりしてしまうか?どちらにしても良いので、どちらかに行きたいと思っている。