家に居ます(鉛筆)


鉛筆の2Hから、4Hを経て7Hと9Hまで使って結構色々試し描きした。これほど硬質な鉛筆を使って今まで余り描いた事がなかったので楽しい。意外な程はっきりと炭の痕跡を残すかと思えば、別種の色が乗ってる上だとツルツル上滑りするだけで紙にひっかき傷を残すだけであったり、とにかくやった事に対するレスポンスが新鮮だ。まあ今だけのことかもしれないが。


絵を描くというとき、僕にとって鉛筆とかの硬質な筆記具から感じられる感触は結構重要だと思い込んでいるのだが、それでも今まではどちらかというと6B〜2Hくらいまでを多様していて、というか、ほぼ4Bとか2Bを使ってきた。なのでその辺の柔らかい感じが、今までの僕にとっての鉛筆のイメージだった。これをざーっとのせていくときの感じとか、手で触った感じや抑えたり消したりしたときの感じは、今頭の中だけでも大体想像がつく。駄目な感じや調子にのってる感じすら、おぼろげに想像できる。だが、4H以上になるとほぼ、そういう参照可能な記憶がない。というか、4H以上の鉛筆はあまり使われず(あまり減らないので)相当な本数が余っている。多分学生(高校生?)時代に買ったヤツすら、残ってると思う。


なので、その辺のあまり使った経験の無いやつを使ってみて、ちょっとイメージを刷新できたのが、かなり良かったと思う。4H以上の鉛筆の有効性を手にしたというのか、広がったというのか…いや、こういう感じは、実は前から何度も出てきていて、それを知っていたけど、今やっと、それを「悪くない」と思えるように自分の方が変わったのだろう。その変化自体が良いか悪いのかは、勿論わからないが。


白黒写真なんかのキレイさというのは、要するに印画紙の表面に塗布されている乳剤の中の、感光して黒くなった粒子の恐ろしく細かい集積と堆積それ自体なのだろうし、銅版画なんかのキレイさというのも、粘りのある油性の銅版画用インクのキメ細かな粒子で実現される、あの質感それ自体なのだろうと思う。で、鉛筆も鉛筆独特の感じが勿論あって、そういう粒子感というのを、今は少しじっくりと自分の中で試していたい気持ちが強い。油絵具も勿論独特の粒子感はあるが、それはとても油絵的なイメージのものなので僕はちょっと怖くて近づけないのだ。


結局僕のように、あるカタチとかに幼稚とも云える様な拘りがある人間というのは、もうその時点でそのカタチに対して信仰してしまっているから、すごく沢山の事をそこで犠牲にしてしまうのだ。それは、最後の局面では敢行せねばならぬ事だが、それでももっと良き方向に変わっていこうと思うのなら、ある程度はそれを崩さない事には進まないのである。色々と画材を変えたり、何かを思い出したりする事は、その信仰を捨て去らずに、もう少しだけ鮮度の高い柔軟な態度をも獲得したいがためである。


今日、たまたまCS系チャンネルで杉井ギサブローが監督のアニメ「銀河鉄道の夜」がやっていて、つい最後まで見てしまった。これをはじめて観たのはロードショウ公開された85年で、当時新宿まで観にいってものすごいショックを受けて帰ってきたものだった。…久々に観たら、まあこんなものだろうなあという感じではあったが、それでも後半は涙が抑えきれない状態になってしまった。…何が良いって、色々あるが特にあの細野晴臣のサントラは素晴らしいだろう。幸福とも不幸とも違う、喜劇でも悲劇でもない、どこにも答えがないけど濃密で空虚で、泣きたくなる様な充実の感触。そこにあのサウンドが重なっていく。。当時はアレにやられたのだ。