家に居ます(信託)


2Hくらいの鉛筆で細かなタッチを無数に重ねていくような描き方で描いた結果、何がしかの形態・イメージが浮かび上がってくる。というか、それが浮かび上がってくるように描いている。で、それと同時にある箇所に強く黒の堆積を感じさせるように、執拗にストロークを重ねている箇所もあり、筆跡の運動がつよく感じられる要素もあり、鉛筆の鈍く光る炭の黒さは黒さ自体としてある。それも感じられるように描いている。相互は干渉し合うし、依存し合う。


絵画というのは多かれ少なかれ、このようなイメージと物質とのせめぎ合いの結果として在るのだが、悩ましいのは、イメージも物質性も、結構あんまり深く考えなくても、適当に召還してきて適当に組み合わせる事は簡単なので、どうやっても、なんとなくもっともらしい感じにはなるのである。というか、もっともらしい感じにならない事の方が難易度が高いくらいである。そこが難しい。つまらない事ばかりやってると阿呆らしくなってきてしまうのである。


自分で描いたものを、自分で観ていて「いや、これは駄目だろう」と思う事があるが、それと同時に、多少時間を経過した自分がもう一度観て「これしかないだろう」と思う事もある。描いている途中で、なぜ自分がこういうやり方をしなければならないのか?が、その時だけは恐ろしく明確に確信できるような事がある。ただし、その後醒めた気持ちで観ると、その時の気持ちに繋がらない事も多い。これが面倒なところである。


「駄目だろう」と思ったものの方が良くて、「これは良い」と思ったものの方が悪い、というのは、非常に良くあることである。只はっきりしているのは、画材(素材)という物質自体は安定して美しいという事だ。それは揺ぎ無いので、信頼に足る最低基準ラインとしてあり、困ったらそこに立ち返るようにするのが大事である。


最近、何となく興味本位で、適当に検索して出てきた投信をやってる人のブログとかを覗いていたりしたのだが、なんとなく面白かった。日記というのも書き手の性格が出るものなのかもしれないが、投資には「自分の哲学が必要だ」という言葉が何度か出てきて面白いなあと感じた。多分行き着くところ、それしか判断基準がないのだろうと思う。(実際、幾ら儲けたとかそういう話より、自分がどのように振舞うべきかについて書かれてる文章の方が全然面白い)