飼い犬の死



14年の長きに渡って家族の一員であったビーグル犬が先日実家で息を引き取った。近年は僕が実家に帰る機会もそう無かったので、たまに目にすると随分老けたなあと思われるほどの老いぼれぶりで、もはやそう長生きもしないだろうとは感じていたが、本当にいなくなってしまったというのはやはりそれなりの喪失感ではある。


容態が思わしくないのは半月ほど前から母と妹からのメール・電話で知っていて、まあそろそろお迎えの時期だろうとは誰でも判る事であるから、とにかくその時になっても人間サマの方がショックで立ち直れなくなったりしないよう、くれぐれも事前に心の準備をしといた方が宜しいかと思いますよ、と再三返信していた。そのせいもあってか僕に電話で訃報を伝える母の声は、こちらから聴く限りでは平常どおりでまずは一安心なのであった。


今日、急遽実家に帰り、やけに仰々しい骨箱に手をあわせる。…手をあわせながら、思わずちょっと笑う。「なんなのこれ?」と思わず母に聞く。「ラブさんノ霊永眠」と書いてあって、とりあえずこれが笑える。「ラブ」が犬の名である。(恥ずかしい名前だが、もらってきた当初からそういう名前だったのだから仕方がない。アイとラブとユーの真ん中の子である)


…聞くところによると、病院から戻ってきた犬の亡骸が家に着いて、せっかくだからちゃんと火葬してお骨にしようと云う事になって業者を探して電話したら翌日、喪服を着た初老の男性が普通のワンボックスカーに乗ってあらわれたのだそうだ。


「この度は誠にご愁傷様でございました。ご遺体を受け取りに参りました」


とか云って、毛布にくるまれた我が愛犬の亡骸を車に積み込むべく、ワンボックスカーの後ろのドアを観音開きに開けたのだそうだ。そしたら、突如として結構な音量で般若心経が鳴り響き始め、開いたドアの内側にはえらく大げさな仏壇が設置されていたのだそうである。男性は上半身を深々と前屈させ合掌している。…ではよろしくお願いします、とかいってさっさと火葬場まで運んでくれると思っていたのに、事態はなにやら簡易メモリアル・セレモニーの様相を呈してきており、…母と妹はこの時点で一抹の不安をおぼえたものの、ひとまず静観の態度で大人しく「参列」の格好で相手の背後に従ったそうな。やがて亡骸を仏前に配置して、母と妹を背にしたその初老の紳士は斯く語った。


「それでは弔辞を頂戴致したく存じます」


あまりの展開に、母と娘共に呆然としたとの事である。ってか準備してねーし。とは妹の弁である。しかし相手も然る者。この事態は充分予想していたらしく「…本日は私が代読仕りたく失礼させて頂きます」とすかさずカバーに入り、あらかじめ用意していたらしいジグザグに折りたたまれた紙片を内ポケットから取り出しぺらぺらと広げて、更に斯く語ったそうである。


「らぶちゃん。もっとあなたと一緒にいたかった。もっとあなたに、しんせつにしてさしあげたかった。…でももう、あなたはこの世にいないのですね。でもあなたが天国でしあわせになってくれることをおいのりしています…あなたと過ごした、この十四年の日々を、わたしたちはけっしてわすれませんよ…」


もっともっと長く朗々と、独特な節回しで弔辞は続いたそうだ。…この時点で、妹は堪えきれず「…っぷっ」と噴き出してしまったらしい。母は、相変わらず高らかに鳴り響いている般若心経の、近所への影響を気にして気が気ではなかったそうである。


ちなみにこの「弔辞」が書かれた紙面の内容は、後ろに参列している母娘の視界から丸見えに見えていたそうで、読み上げた言葉がそのまま文字として記載されているのが容易に確認できたものの、犬の名前のところだけは「○○ちゃん」と任意の名前を代入可能なように記されていたのも嫌になるくらい見えていたそうである。さらに!その紙を持つ手の内側には、マジックらしき黒い筆跡で「らぶ」「ぽち」「たろう」などと、ウチの犬を含む沢山の犬らしき名前がメモされていたのも、もう少しだけ隠してほしいと思わざるを得ないほど丸見えだったそうである(涙)


そのおじさん、最初のうちだけは「弊社ではご遺体ひとつひとつを丁寧に一つずつ火葬させて頂いております」とか恭しく語ってた癖に、儀式を一通り終了して軽く世間話になったら調子に乗って「いやあ最近は気候のせいか、非常に忙しいんですよ。今日なんかも全部で8匹くらい焼きますからねー」とかなんとか、あまりにも無防備極まりなきご発言にまで至ったそうで「あれ絶対8匹まとめて焼いてるとおもうよ」とは再び妹の弁である。憚りながら不肖の兄も同意見である。


…とにもかくにもその後、我が家の可愛い家族の一員が荼毘に付され小さき骨壷となってご帰宅召された。戒名は「明光院愛良道大師…(?)」…"十何万円分の価値がある"らしき素晴らしいお値打ちの戒名なんだそうだ。(ちなみにご請求金額は2万円かそこら)骨壷に書いてあるのだが、どっちかっていうと脇に「俗名ラブ」と書いてある方が趣き深い。享年14歳であるが骨壷には13歳と間違って書かれているのも風情に拍車を掛け、全体の仕上がりとしては申し分ないレベルと云えよう。…ラブ君よ。君はなかなかのものだった。ほんとうによくやったね。最後まで笑わせてくれたその根性を尊いものに思うよ。僕も斯く在りたい。いざさらば。あの世で達者に暮らせ。合掌。