飛ぶ機械


信じてきたのに、裏切られた!この期に及んでみっともない言い訳をして、自分だけ助かろうとしやがって!何もかも犠牲にした結果がこれですか?あなたのその無様な姿を見るために私達全員耐え忍んできたって云うの??

…という言葉と

いや確かに我々も悪かったけれど貴方たちだってもう少しどうにかならなかったのですか?周りを気にしつつもっともらしい顔で大人しくしておいて、あとは偉い人に任せておけばまあ、万事何とかなるだろうと怠惰を全開にしてなけなしの安穏にしがみ付いてきたのはほかならぬ貴方がたじゃないか!なぜ、この状況で私だけが、一方的に責められ詰め腹切らされなきゃならないんです??


という言葉がぶつかり合う場というのがあるとする。想像するだけで気が滅入るような、醜悪な場。でも敗戦直後の日本はまさにそのような場であって、今も基本的にはそのような場なのかもしれない。と感じたりもした。


やっぱり「一生懸命がんばる」っていうのはろくなもんじゃないですね。本当に、百害あって一利なしと云いたいくらいだ。次の百年はもうズルズルダラダラとやる方向でいいいんじゃないだろうか?別に占領されたって侵略されたってかまやしないじゃないですか。今の旦那に逃げられたら、また別の旦那に面倒見てもらえば良いだけの事よ。全部駄目ならのたれ死ぬだけの事よ。それが芸者ってものじゃないのさ。みたいな気分というのも強烈にある。でもそれはうそまちがってるみたいな気持ちもあって、ああやれやれと思いつつ炎天下の中、所沢航空発祥記念館なんかに立ち寄ってしまった。(実家から近いのだ)


ライト兄弟の「フライヤー1号」飛行成功は1903年だというから、航空の歴史は我々のイメージより遥かに短い。まだ100年足らずでしかないのだ。軍事目的というのっぴきならない理由が航空技術の飛躍的な確信を可能にし、それこそ「人間が空から、地上に対して無差別に爆弾を投下する」などという、これまでの人間の世界の倫理や道徳や常識では考えられなかったような非道で残虐な行為をも可能にしたのだ。こういうものすごいテクノロジーが戦争に使われる以上もはや誰にも安全な場所など確保できない。そういう状況下で、それでもものすごい勢いで僕達は皆で殺しあっって来ました。ちょっと殴ったら頭がもげる位のすごい筋肉増強剤を飲んだ子供同士の乱闘みたいなものだろう。


…しかし飛行機械っていうのはほんと、男性器のかたちしているものだなあ。特に軍事目的全開の時代(ほぼ全ての時代だが)は、そういう象徴的な形象を担っているとしか思えない。


男性器的イメージセレクション